その時、世界はどうなっているだろう

 だったら最初から家にいさせてくれと思うのだ。具体的に言うと、町内会の冬まつりとかに誘わないでくれというのだ。長く寒い冬を前向きに過ごしたい気持ちはよく分かるが、やっていることは前向きではなく外向きである。外へ出てどうする。寒いのに。あの北海道のエキスパートみたいなヒグマでさえ冬ごもりをするのである。冬ごもりに失敗した「穴もたず」は凶暴化して人を食い殺すこともあるというではないか。その点を考えても、前向きに内へ内へと籠もっていきたい。

 今年もそんなふうに思いながら、冬を迎えた。以前は南国に移住したいとか、雪かき不要のマンションに引っ越したいなどと考えていたが、最近ではミステリー小説的山荘で冬を越すのもいい気がしている。電話も通じず、雪が降ると麓への道は閉ざされ、ミステリー小説なら一人ひとり何者かに殺されていくような、そんな場所に一冬分の燃料と食料を蓄えて籠もるのだ。長く孤独な冬をただじっと過ごし、そして春、雪どけと同時に麓へ下りるのである。

 その時のことをよく考える。世界はどうなっているだろう。人も街もまだ存在しているだろうか。天変地異が起き、私一人を残して死に絶えてはいないだろうか。広がる廃虚が目に浮かぶ。動くものなど何もない死の世界。そしてその廃虚の上にも、それを見つめる私の上にも、春の陽は降り注ぐ。やがて夏の緑が茂り、そしてまた雪が降るだろう。私の胸によみがえるのは、同級生の言葉だ。

 「それを繰り返して皆死ぬ」

 あの日の物語が完結するのである。

文/北大路公子 イラスト/にご蔵