仕事も遊びも、楽しく頑張るのは好きだけど、でもちょっと最近息切れ気味…。そんな胸突き八丁のARIAなお姉さまがた、こちらでちょっと一服していきませんか? 皆さんをお迎えするのは、「覇気がない」を自認する北海道在住のエッセイスト、北大路公子さん。50代実家暮らし、お酒をこよなく愛するキミコさんが切り取る日常は、役に立つ話はほぼゼロ! しかしながら、そのゆるさと無駄にさえわたるユーモア、並みの高級エステより癒やし効果抜群かもしれません。今回は、急逝した父親にまつわるちょっぴり切ないお話です。

 父の夢をほとんど見ない。

 父は去年の9月、誰もが「お父さんはこの病気で死ぬのだろう」と思っていたのとはまったく別の感染症、まあ肺炎なのだが、それでぱたぱたっと逝ってしまった。亡くなる少し前に大きな地震があり、それよりさらに前に母が利き腕を骨折し、その半月ほど前には父自身がヘルニアの再発で突然歩けなくなって入院していた。「呪われた晩夏」とひそかに呼んでいた時期である。

助けようとした私も巻き込まれるのでは…

 ヘルニア自体は快方に向かい、問題は玄関だけだと誰もが思っていた。建物の構造上、我が家の玄関は2階にあるのだ。平地では歩行器の助けを借りて不自由なく動けるものの、やはり階段が鬼門。しかも我が家の場合は、傾斜が急で段数も多い。雪のない季節はまだいいが、冬は階段前がつるつるに凍り、『ホーム・アローン』の罠状態になるのも恐ろしい。実際、リハビリを終えて退院した日、父が階段を上る様子を見ても、今後の外出や通院をとてもじゃないが私1人でサポートできるとは思えなかった。

 「病気より先に階段から落ちて死ぬのでは。助けようとした私も巻き込まれて死ぬのでは」

 介護の本格化を前に、途方に暮れたような気持ちで父の背中を見つめたことを今も思い出す。が、身構える私を置き去りに、3日後、父はあっけなくこの世を去った。83歳。階段問題はすぐに母の身に迫ってくるだろうが、とりあえずは棚上げとなったのだ。