「がっくり」のタイミングが訪れない

 それからまもなく1年である。周りからは「お葬式のばたばたが一段落したらがっくりくるよ」とずいぶん言われたが、前回も書いたとおり父の会社の後始末などもあり、「がっくり」のタイミングが訪れないまま今に至っている。それどころか、「あんたには迷惑かけないようになってるから」という父の口癖を思い出しては、「うそつきーーー!」と夕日に向かって叫びたくなる日々だ。その私の気持ちを察してか、父は夢にもほとんど出てこない。叱られるのが怖いのかもしれない。一度だけ登場した時は、2人一緒に父が亡くなるまでのドキュメンタリー映像を見ていた。亡くなる前日、救急車で最初に運ばれた病院のシーンで、

 「俺、この時もまだ全然死ぬと思ってなかったんだよなあ」

 と父が言い、

 「だよねえ!」

 と生きている時より気が合ったのである。

 今、父の不在をもっとも感じるのは、遺品整理の時である。とはいえ父にコレクター的素養はなかったので、私物はさほど多くない。事務所からゴルフセットが3つ出てきて「影武者でもいるのか!」と思ったのと、薄暗い会社倉庫の棚のあちこちに梅干しパック計4個が置かれていたのが意味不明過ぎて怖いくらいで、あとはせいぜい洋服くらいだ。その洋服整理が未だ終わらない。私はばっさり捨てる方だが、それでも「ああ、これは最後の入院の時に着ていた服だ」とか「冬はいつもこのセーターだった」とか「私がプレゼントしたシャツがちゃんとクリーニングされている」とか思うと、寂しいような懐かしいような気持ちになって、整理の手が鈍るのだ。若い父の膝に抱かれてにこにこしている幼い私の写真が、バー『ジュ・テーム』のアキさんの名刺と一緒に出てきたりして、「そこは分けて持っとこうぜ!」と思ったりもする。