「愉快なおじさん」が、ある日を境に…

 たとえば子どもの頃に見た寅さんは、愉快なおじさんだった。あんなおじさんがいたら楽しいだろうなと思った。日本中を旅しているから話題は豊富だし、ちょっと気分屋なところはあるが根は優しいし、露天商の口上なんかもついまねしたくなる。場の空気を明るくする力は抜群で、おいの満男はよく寅さんへの憧れを口にしては「もう、やめておくれよ」とおばちゃんに叱られていたが、私には満男の気持ちがよく分かった。

 それがある日、同じ作品を見ても、ふと寅さんを疎ましく思う瞬間が訪れるのだ。こんな親戚がいたら厄介だろうなあと思う。普段はろくに便りも寄越さないくせに、ふらりと現れては好き放題ふるまう。見知らぬ女の人を連れてきては、やれすしだ鰻(うなぎ)だ酒はまだかとはしゃぎ、揚げ句の果てには「今日は泊まっていけよ。ほらさくら、さっさと布団敷いてやれ、まったく気が利かねえんだから」などと、人をボンクラ扱いする。気まぐれでひがみっぽくてけんかっ早くてそのくせ照れ屋で小心者。かと思えば、純情で寂しがりやで底抜けに人がいい。そんな男が年に2回、ふらりと現れるのだから面倒くさくて仕方がない。

 経済的なことも気にかかるようになってくる。露天商という商売の仕組みは分からないが、形態としては個人事業主と思われる。私と同じだ。となると、確定申告はどうなっているのだろう。青色だろうか、白色だろうか。収入はどれくらいあるのだろう。考え始めると、止まらない。国民健康保険や国民年金はきちんと保険料を納めているのだろうか。いや、払ってはいまい。そもそも住民票がどこにあるかというと、柴又のはずだ。納付書は柴又の団子屋に届き、寅さんの目には触れない可能性が高い。では誰の目に触れるかというと、叔父夫婦である。