音楽評論家、作詞家として50年以上のキャリアを持つ湯川れい子さん。国内のみならず世界中のスターやアーティストと親交を深めてきました。そんな湯川さんによる自筆のコラムです。世界中のアーティストとの交流、昨今のエンターテインメントについて考えていること、さまざまな土地を旅して感じていることなどをつづってもらいます。
今も鮮烈に残る、終戦のときの記憶
終戦から75年という節目の年だからでもあったからでしょう。2020年の8月15日の前後は、テレビでも新聞でも戦争に関する映像や記事が多かったように思います。きっと、もううんざりと言う声もあることでしょうね。
ごめんなさい。それでも、映画『この世界の片隅に』の“すずさん”と同様、あの時代を生きた1人としては、つい幾つかつぶやいておきたいことがあるのですよね。
今も鮮烈に私の脳裏に残っているのは、終戦の日だったか翌日か。疎開していた山形県米沢の父方の祖母の家の仏間で、その年にフィリピンで戦死した長兄と、その前年に他界した父の遺影が飾ってある部屋の畳の上に正座。母から自害の作法を教えられたシーンです。
母は和服用のきれいな腰ひもで、座った私の両膝の上のあたりをしっかりと縛って動けないようにして、私がお嫁に行く時に持って行く物として家にあった美しい螺鈿(らでん)細工を柄(つか)に施した女性用の短刀を、膝の前に置きました。
そして短刀を抜くと、柄に白い半紙を巻き、白い麻ひもでぐるぐると縛って、それを両手で握りしめ、刃を喉元に当てがうと、「アメリカ兵が入って来たら、辱めを受けることがないように、私と一緒に自害しなさい」と、上半身ごと刃の上に倒れ込むようにして自害する方法を、何回か練習させられたものでした。
うわぁ~、痛そう……というのが、その時の私の言葉にならなかった声で、母は別に怖い顔をしていたわけでもなく、むしろ穏やかで、涼しそうな顔をしていました。