コリーの歌声にドキュンッ! ハートを撃ち抜かれた

 コリーは、そんな1983年、23歳だった時に、デビュー曲の「サングラス・アット・ナイト」という、大好きな女性を正面から見る勇気もなくて、夜でもサングラスをかけて思い詰める心情を歌った初々しい歌が、たちまちカナダだけではなく、アメリカや日本でも大ヒット。その後も「ボーイ・イン・ザ・ボックス」「ネヴァー・サレンダー」といったヒット曲が、私がラジオでやっていた「全米トップ40」(ラジオ日本)という番組のチャートをにぎわしてくれていました。

「ちょうどカナダに行ったときに、カムバックした57歳のコリーが表紙になった雑誌が店頭をにぎわしていました」
「ちょうどカナダに行ったときに、カムバックした57歳のコリーが表紙になった雑誌が店頭をにぎわしていました」

 そして、その甘いルックスと、どこか少しひねくれたような、蔭ったところがあるマスクで、当時人気の日本の音楽雑誌のグラビアなどを飾るようになったんですけど、エルヴィス・プレスリーで有名だった「好きにならずにいられない/Can’t Help Fallin’In Love」という歌を1986年にカヴァーして、これが特に日本では大ヒット。私はエルヴィスが大好きで、1973年にはラスヴェガスで、エルヴィスに結婚の保証人になってもらったほどの大ファンなのに、コリーの歌にそっぽを向くどころか、まったく飾り気のない、真っ正直で誠実な歌声にドキュンッ!! とハートを撃ち抜かれてしまって……。以来、目も耳も心も、コリーの虜(とりこ)になってしまったのです(笑)。

 それで、コリーが来日するたびにコンサートに駆けつけたり、私の番組のゲストで出てもらったり、87年には当時のテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に、なぜか私も同伴出演したりして、誰はばかることなく、コリーに夢中になっていたんですね。

子育てのために仕事から退いた男

 当時コリーは、日本の俳優の義理の姪御さんに当たる、カナダ生まれの日本人女性を婚約者として連れて来ていたんだけど、その方とは2年間ぐらいは結婚していたのかなぁ。25年前のある日、ケベック出身のフランス語で歌っているジュリー・モスという歌手の人と突然のように結婚。と思ったら、3人目の子どもが生まれた5年後。今度は「自分が10歳の時に両親が離婚して、母親と二人きりで、それは寂しい少年時代を送ったから、子どもたちにはそんな思いはさせたくない」と言って、なんと! 第一線から、ほとんど引退も同然に身を引いて、家庭に籠もっちゃったんですよ。当時としてはありえないほど珍しいことだったし、ファンとしては、もうそれはショックでした。

 で、しばらくは音信不通だったんだけど、5年ほど前に、偶然フェイスブックでつながるようになって。「今の自分には4番目に男の子が生まれて、娘が3人と息子が1人。最近は3番目の娘がテニスのプロになりたいと言うので、娘たちにとってはおばあちゃんに当たる僕の母親が住んできたバハマの家と、奥さんのジュリーが仕事の拠点にしているモントリオールの家と、テニスの素晴らしい先生がいるスペインを3カ月ごとに移動している」と、まるで親ガモみたいな生活ぶりを教えてくれたのでした。