「これは良さげな所じゃのう」神様も気に入った街

 私がこの神社が大好きなのは、そんな小さなことよりも、2000年以上も昔、神代の物語にひかれるからです。

 この来宮神社のご祭神のうちの一人である日本武尊(やまとたけるのみこと)が、富士山の方から山を越えて、この来宮神社がある熱海の西山町の辺りにいらしたことがあるという話が古事記には出てきます。それと、もう一人のご祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)が、日本神話に出てくる大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一の神様で、この方が相模湾を楠の船に乗って入って来られて、富士山が見える山懐の村落に温泉の煙が立ち昇るのをご覧になり、「これは良さげな所じゃのう」と舟を降りて、しばらく熱海に住まわれたという話があるのです。

 やたら壮大でロマンチックではありませんか!?

 そんな熱海は、記憶する人も多いと思いますが、今から20年少し前のバブル崩壊頃には、もうドボドボに人気が無くなって、有名旅館だった建物の屋根にはペンペン草が生えて、もはや瀕死(ひんし)の状態でした。当時から素晴らしい温泉や風景はあったのに、あれはどうしてだったのか。

 たまたま古い友人が熱海に温泉付きの家を持って住んでいたり、何かの折に熱海の当時の市長さんとお会いする機会があったりして、ひと頃は東洋のモナコと言われた熱海だったのに……と、私は気をもんでいたのです。

 古い日記を見ると、ちょうど20年前の2000年ごろに熱海の市長さんと東京でお食事をした、とか、翌2001年の1月3日と4日には、親しい女友達2人と熱海に泊まったりもしています。

 その女友達の一人が、今は世界的な照明デザイナーとなって活躍している石井幹子(いしい・もとこ)さんで、2001年に私は幹子さんから、熱海の街おこしのシンポジウムへの出席を依頼されています。そこで有名な医学博士であり農学博士で、たくさんのベストセラー本を出している前述の古い友人、佐藤富雄さんに声をかけ、熱海の起雲閣という大正時代に建てられた有名な館でのシンポジウムに一緒に出席したのでした。

石井幹子さんと
石井幹子さんと