「ねだられる」から「ねだる」側へ。生活が一変した

 今思えば、あの時はやけになっていたような気がしますが、これで私の生活は一変しました。その日から私は、私の調査費を配った居住区の隣人やマチンガたちのお世話になって暮らすことになったのです。

 私がお金を分け与えたのは10人くらいでしたが、彼らから家族や友人など別の人たちにも分配されたので、周りには私に借りがある人たちばかり、という状況が生まれました。ご飯は誰かにおごってもらい、隣人だったバスのコンダクターたちに無料でバスに乗せてもらい、服は古着商を営むマチンガたちが毎日貸してくれました。

 私の友人たちには商人が多かったので、売れ残った商品を日々贈与してもらい、いらないものは誰かに転売したり、欲しいものと交換したりしていました。長距離の移動をしたくなっても、周りに相談すれば、誰かが知り合いのトラック運転手を探してきてくれ、「この子を隣町まで乗せてやってくれ」と話をつけてくれる。お金を全部分け与えてしまうことで、私は逆にお金にくよくよする生活を捨てることができたのです。

 お金を分け与えたときに、「もうこれで帰国することになったとしても、仕方がない」という覚悟はありました。なにせ彼らの商売は浮き沈みが激しく、今日は稼げても明日は稼げるか分からないという状況でしたし、稼げたら助けてくれるし、稼げなかったら「ないものはないんだから、しょうがないだろう」と私のことなど忘れてしまう。だから正直、私はマチンガの一人ひとりに対して深い信頼を寄せていたわけではありません。

 それでも実際のところ、困ったことはありませんでした。「借り」は必ず返されるものだという期待や、誰からはまだ返してもらっていないといった計算をやめて、その時にたまたま「持っていそうな人」に無心することのできる関係の中に私もいるのだと思うことにしたら、それなりに暮らすことができるようになったからです。