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私のキャリアが始まった日

工藤夕貴 シッターや日本語教師でつないだLA生活

(2)ハリウッドでオーディションに何度も挑戦するも合格できず、食べるために掛け持ちでバイトをした


アイドルとして活動する一方、10代でアメリカ映画に出演。ハリウッドへ拠点を移して映画主演を果たし、現在は富士山の麓で農業にいそしみながら女優としての活動を続ける――。誰も成し遂げたことのない快挙を達成しながら我が道を突き進み、「今が一番幸せ」と笑う工藤夕貴さん。その半生から、変化を恐れず前進するヒントを探ります。

(1)渋々出た映画がハリウッド女優への切符だった
(2)シッターや日本語教師でつないだLA生活 ←今回はココ
(3)農業を始めて20年 女優のキャリアも更新中

初めて「生きていて良かった」と思えた経験

 海外へ挑戦したいと思いながらも具体的な行動はできないまま、英語の勉強を続けていた工藤さん。1988年のある日突然、映画『逆噴射家族』を見て工藤さんに興味を持ったジム・ジャームッシュ監督から事務所へ連絡が入ります。

 「すごく不思議だと思うんですけど、そういうものなんですよね、人生って(笑)。波乗りに似ていると思うのですが、実力を蓄えながら待っていれば『今だ!』っていう波が来た時に乗れる。一度連絡が来た後にジムと電話で直接話がしたいとお願いして、全く通訳を通さず、自分の言葉で自分を売り込むことができたんです」

 1984年に公開された商業映画としての初監督作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がカンヌ国際映画祭の新人監督賞にあたるカメラドールを受賞し、『ダウン・バイ・ロー』(1986年公開)も日本公開されていたジム・ジャームッシュ監督。スタイリッシュな映像と独特な語り口のオフビートな作品には日本でもファンが多く、当時からミニシアターブームをけん引するインディーズ映画界のスター的な監督として知られていました。

 「撮影場所の関係でクリアしなければいけない難しい条件もあったんですけど、私が絶対にその役をやりたいと伝えたら、ジムも『自分が責任を持つ』と言ってくれて。その電話オーディションで、『ミステリー・トレイン』への出演が決まったんです。めちゃくちゃうれしかったですね。多分、あの時初めて『生きていて良かった』と思えた気がします」

『ミステリー・トレイン』の撮影風景
『ミステリー・トレイン』の撮影風景
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