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私のキャリアが始まった日

欧州で「ダヤン」を売りたい 72歳、仏語を勉強中

池田あきこ(3)コロナ禍でも人を削らず耐えられているのは、販売チャネルの多さとファンのおかげ


クリエイター・経営者という両立の難しいフィールドで、ともに大成功を収めている池田あきこさん。雑貨メーカーの経営者としても絵本作家としても軌道に乗っていたさなか、工房と実家の火事で母を亡くし、傷心の日々を過ごします。その後も店舗の撤退、取引先の倒産などさまざまな困難に見舞われますが、事業を進める手を緩めることはせず、しなやかにその荒波を乗り越えていきます。

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悲劇に見舞われても、立ち止まろうという発想はなかった

 1993年12月、会社の経理を担当していた母を火事で亡くし、大切な家族だけでなく実家の家屋、経理関係の書類や通帳、お金まで失った池田さん。事業をやめてしまおうと思うことはなかったのでしょうか。

 「そんな考えは、よぎりもしなかったですね。ただ、本当に困った。母がどういう経理の処理をしていたかも分からないし、支払うべきお金も燃えてしまったから。

 それで、取引先の銀行に1件1件連絡して、いろいろな処理に走り回って。ただみんな同情してくれたから、それをきっかけに支払いサイト(期間)を伸ばしてもらって、財務状況を整理して、新しい工場を稼働して事業を続けることでなんとか切り抜けました

「どんな困難に見舞われても事業をやめようなんて、一度も考えたことはありません」(池田あきこさん)
「どんな困難に見舞われても事業をやめようなんて、一度も考えたことはありません」(池田あきこさん)

 経理担当は、池田さんの叔母にあたるスタッフが引き継ぎます。

 「母が前から『自分が仕事できなくなったらあなたが経理をやって』って、自分の妹に頼んでくれていたの。叔母は制作がやりたくてうちの会社に入っていたんだけど、経理を引き受けてくれたんです」

 結果、事業は2000年ごろまで順調に拡大。ただ2006年に、売り上げの大きな部分を占める東京・新宿駅西口に近接したモザイク坂のショップから撤退し、新宿駅東口に移転することに。

 「小田急がモザイク坂をリニューアルするということになったんです。うちはその当時もそのエリアで売り上げがトップクラスだったんだけど、うちが入っていると印象が変わらないから出てくれって。

 それで、閉店前に次の案内ができるよう大急ぎで近所の物件を探して、東口の4階建てのビルに移転したんです。ここは、駅からは近いけど一棟貸しなので家賃が高くて、いろいろ大変(笑)」

 実はその少し前の2001年ごろ、約40年の事業で一番大変だった、と池田さんが振り返る事態が発生していました。

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