2021年6月に日本テニス協会の新理事に選出された伊達公子さん。彼女のキャリアをたどると、人生のフェーズごとに関わり方は変わりながらも、常に伴奏のように寄り添う「テニス」への愛が見えてきます。「ライジング・ショット」を武器に進んだファーストキャリアに幕を下ろし、テニスと距離を置きつつも、30代後半で再びプロの道へ。前代未聞の復活劇は多くの人の心に響きました。

(1)選手時代、試合後の記者会見は苦痛だった
(2)30代後半での現役復帰は「いいことだらけ」 ←今回はココ
(3)世界に通用するテニス選手を育てるための課題

ギリギリの精神状態にルール変更が重なり、引退へ

 それまで使いこなせる人がほとんどいなかった「ライジング・ショット」を武器に、プロとしてのファーストキャリアを順調に歩んだ伊達さん。ランキング上位の選手が相手であるほど力を発揮する“トップ10キラー” として躍進します。ただ、それが海外選手の反発を招くことに。

 「日本人というよりアジア人がテニスで結果を出すこと自体がおかしい、という目で見られているのは、会場でも選手からも感じました。『キミコはあまり試合に出てないのに、なんでそんなにランキングが上なんだ』ということも、海外選手によく言われましたね」

 当時のランキングの算出方式は、トップ10の選手に勝つと効率よくボーナスポイントが入り、出場試合数で割って1試合当たりの平均ポイントで競う方式だったので、大きな大会に絞って参戦し、トップ選手に強い伊達さんには有利でした。それが1997年からは、試合数を多くこなすほどポイントを稼げる「加算方式」に変更されることに。プロ選手が参戦する大会のほとんどは欧米で開催されているため、欧米の選手と比べて地理的なハンディがある上、体力的に不利な伊達さんにとっては致命的なルール変更でした。

 「それまでも精神的にギリギリな状態でトップ10に入りたいという夢に向かって進んでいましたけど、実際に入ったからといって満足できるわけでもなく。さすがに疲れ果てて、この環境から逃れたい、としか思えなくなってしまったんです」

 ルール改正が実施される前年の1996年11月。伊達さんは約8年にわたるファーストキャリアに終止符を打ちます。引退時の世界ランキングは8位。グランドスラム制覇も近いといわれる中での引退でした。

一度目の現役引退後、2004年にロンドンでフルマラソンに挑戦したときの伊達さん
一度目の現役引退後、2004年にロンドンでフルマラソンに挑戦したときの伊達さん