芸能界の荒波を経験しながら着実に女優としてのキャリアを築き、ECセレクトショップ『羽田甚商店』店主という実業家としての顔も持つ羽田美智子さんのキャリアストーリー最終回。『羽田甚商店』立ち上げの経緯や思い、これからのビジョンについて聞きました。

(1)名家に生まれ、女優を目指すも両親は猛反対
(2)スキャンダルに屈せず女優のキャリアを構築
(3)実家の屋号を復活させるため50歳で起業 ←今回はココ

結婚・妊娠・死産・離婚…激動の40代で人生に惑う

 20代は映画、30代はテレビドラマを主なフィールドに活躍してきた羽田さん。デビューから40歳になるまでは、常に「何歳の私はこうなっていたい」というビジョンを描き続けてきたといいます。

 「40歳までにと描いていたビジョンは、シリーズものの作品を持つということ。そして、地方へ行って一般の方にお会いできるような旅番組をやるということでした」

 目標どおり、1999年から6年間続いた『サラリーマン金太郎』の他、『おかしな刑事』、『特捜9』など、現在まで15年以上続く主演シリーズを数本持つことに成功。

数多くのドラマに出演し、順調にキャリアを築いていた30代の頃
数多くのドラマに出演し、順調にキャリアを築いていた30代の頃

 ドキュメンタリー番組についても、2000年からは『京のいっぴん物語』『羽田美智子の京都専科』の他、国内外へ旅する番組などに定期的に出演しています。

 さらにプライベートでは41歳で結婚し、すぐ妊娠します。ただ、病院では高齢出産のリスクを強く説かれ続けました。

 「心のどこかで『大丈夫、同年代で出産している方はたくさんいる』と思っていたんですけど、結局妊娠5カ月で赤ちゃんは旅立ってしまいました

 妊娠12週以降は、おなかの中で亡くなった胎児を人工的な陣痛で出産する必要があり、その痛みは、それまで経験したことがないものだったといいます。

 「生死をさまようような手術ではないんですけど、自分の中では臨死体験みたいなものがあって。光がどんどん上に昇って魂が抜けていくような感じになったとき、神様に『このまま逝く運命なら逝きます。でも帰るのが運命ならば、私の使命をもう一度全うさせてください』ってお願いした感覚を覚えているんです。そうしてベッドの上で目覚めたとき『あ、私生きてる。後悔しないように生きなきゃ』と思ったんですよね。

 それと同時にやり残したことを考えたら、ぽんっと3文字『実業家』という言葉が浮かんだんです