夫婦の3組に1組が離婚するといわれる時代。結婚に理由があるのと同様、離婚にもまた理由があります。離婚までの4つの「峠」を経験者に打ち明けてもらいます。

みのり(仮名 46歳、会社員)
26歳で結婚、36歳で離婚。現在、2人の娘と、母、兄と5人暮らし。

優しい夫との幸せな生活、望み通りの妊娠

 元夫とは食品会社の開発職である職場の同期として出会いました。部署内の先輩も含め数人の飲み仲間になり、頻繁な時には週3程度集まっていました。

 彼とはよく映画を見に行きましたが、私の中ではデートというより、感想を言い合える良き映画仲間と思っていました。3年ほどそんな関係を続けた後、お付き合いを始め、それから丸1年後の1月、私の誕生日にプロポーズされ、結婚することにしました。

 結婚後は、幸いにも望み通りすぐに妊娠しました。彼の子どもを授かったことが何よりうれしく、彼は一緒にお散歩もしてくれるし、重い荷物も持ってくれるし、家事も結構自分から動いてくれるし、私は本当に幸せだと感じていました。

夫の実家近くへの転居、家族に大きな変化が

 産休、育休を取っていた間に私が卑屈になっていたのかもしれませんが、子どもが生まれて以降、なんとなく夫婦の関係において、感情も行動も金銭面でも自由にできないな……という不満がありました。勝手に思い描いていた結婚生活の理想形と比べて、彼がいつまでたっても気分による感情の起伏があり子どもっぽく、金銭面でも自己中心的に感じてしまったことに、不安のような感情が出てきました。

 育休から復帰する直前に彼の大阪への転勤が決まり、私は泣く泣く退職し、ついていくことに決めました。このときは相当悩みましたが、当時は子どもが小さいうちに別居ということが世間的にもまだなく、もちろん行くよね? が大前提。兵庫にある彼の実家も近く、ここから始まる大阪生活が、家族に大きな変化をもたらしました。

 義父母が1歳になる孫に会いたいのは理解できますし、かわいがってもらうのはとてもうれしいこと。ですが、何の前触れもなく週末の朝8時30分にはピンポンと鳴る、もしくは毎週末彼の実家に泊まりに来るようお誘いを受ける……。彼は断ったり、日帰りもしくは月1程度の泊まりでと交渉したりするすべも持たず、親の言いなりでした。

 ただ、それでも当時の彼は父親らしい優しさがあり、私は長女と次女の間で流産を経験しているのですが、そのときも彼の存在はすごく心の支えになり、この人と結婚してよかったと心底思える場面もありました。

転勤で夫の実家に近くなり、子どもを連れて毎週末通うことがだんだん負担に(写真はイメージ)
転勤で夫の実家に近くなり、子どもを連れて毎週末通うことがだんだん負担に(写真はイメージ)
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