夫婦の3組に1組が離婚するといわれる時代。結婚に理由があるのと同様、離婚にもまた理由があります。離婚までの4つの「峠」を経験者に打ち明けてもらいます。
27歳で結婚、45歳で離婚。現在は子ども2人と実母と共に暮らす。
物腰やわらかな老舗の跡取りと親戚の勧めで会うことに
元夫とは、親戚の紹介で知り合いました。当時、27歳で結婚適齢期になっていた私は、過去にお付き合いした彼とのことが整理できず、独身でいました。親戚と母に勧められ、元夫に会うことになったのです。地方の老舗企業の跡を継いで社長になったばかりの人だと聞きました。
元夫の東京出張に合わせ、会うことになりました。断るつもりでしたが、親戚の顔を立てる必要もあり、気が向かないまま会いました。その日の私は、かなり不機嫌そうだったと、後から元夫に言われた記憶があります。
実際会って話してみると、物腰がやわらかく話しやすい人でした。静かで、聞き上手。育ちの良さが感じられ、言葉遣いもとても丁寧でした。お互い海外経験もあり、楽しい時間を過ごしました。それから元夫からメールが届くようになり、メル友の関係が始まりました。メールでも、誠実そうな人柄を感じ、次の東京出張でデートすることになり、以降、元夫が毎週のように東京に出てきては、デートを重ねました。
初めて出会ってから、3カ月でプロポーズされ、8カ月で入籍し、彼の地元へ引っ越しました。9月にハワイで挙式、同じ年の12月には妊娠しました。
結婚生活は、もちろん幸せいっぱいでした。日々の生活を彼と共にできる喜びと、彼との間の新しい命の尊さを感じながら、日々過ごしていました。彼の実家ではなく、賃貸マンションを借りていました。将来的には、会社の隣にある彼の実家で暮らすことを想像していました。
峠1:違和感を抱き始めたとき
義母の無神経な言動に耐えられない
病床の実父に腐った果物を贈る義母
最初に違和感を抱き始めたのは、義理の母のことです。義母の無神経な言動に、たびたび大げんかになりました。
たとえば、出産のために里帰りしている私宛に、義母から送られてきた品物の宛名に、私の旧姓が書かれていました。ひどくショックを受けました。
子どもが生まれて、初めてのクリスマスを一緒に過ごすときに、義母が0歳児のために用意したプレゼントが、アイマスクだったんです。アイマスクなんて0歳児に使ったら、窒息させてしまうのに、何を考えているのだろうと思いました。
また、実家の私の父が病気で入院していたとき、義母からお見舞いの品として、果物が実家に送られてきました。その果物は義母に届いたギフトの使い回しで、腐っていました。がんを患い、余命宣告を受けた父宛に、頂き物の腐った果物が届けられたと聞いたとき、私は怒りで震えました。
義母だけでなく、夫に対しても違和感はありました。何か問題が発生すると、逆ギレをして音信不通になったり帰ってこなくなったりと、問題解決のために向き合おうとしないのです。
また、お酒を飲むと、自宅と実家の近い方に適当に帰ります。家族の生活に責任を持とうとしませんでした。
夫はドライな性格で、家族より自分のことを優先します。子どもの行事に参加すると子どもと約束しておきながら、自分の用事をダブルブッキングさせることも多かったです。
お金の使い方にも疑問があり、分不相応な高級ブランド品を自分のためだけに買い、子どもたちに必要なお金は出しませんでした。