夫婦の3組に1組が離婚するといわれる時代。結婚に理由があるのと同様、離婚にもまた理由があります。離婚までの4つの「峠」を経験者に打ち明けてもらいます。

隆子(仮名、55歳 会社員)
22歳で結婚、34歳で離婚。2人の子どもは独立し現在はパートナーと2人暮らし。

農家の長男に自分からアプローチして結婚へ

 出会いは、叔母の経営する片田舎のスナックでした。東京で会社勤めをしていた私は、子どもの頃からかわいがってくれた叔母の頼みで、気が進まなかったのですが週末だけお店を手伝っていました。そこにお客さんとして来たのが元夫です。どこか人の心を見透かすような態度をとる彼が気にかかったのを覚えています。

 彼は農家の長男。当時はハウス栽培の農家は景気が良く数年で御殿が建つといわれるほどで、事実、入り母屋造りの立派な家と広い庭に広大な土地を持っていました。

 私の両親は自営業で、体の弱い弟のいる私にとって、結婚相手は将来自分の家族も面倒をみられるほど収入のある人と思っていたので、条件がぴったりだと私から積極的にアプローチしました。

 ところが私の両親や親戚から大反対され、家出するなど大騒ぎの末に妊娠。ついに親も結婚を許してくれました。私は会社を辞め、彼の家で義父母と同居、農家の嫁となりました。

峠1:違和感を抱き始めたとき

家の習慣に慣れることができない

 何かあったというより、日々の小さな「嫌だな」と思うことが積み重なっていった気がします。

 結婚してすぐ、義父母と4人で食事をしていて夫は自分が食べ終わると自分の部屋に行ってしまうことに戸惑いました。嫁として後片付けや義母との会話など、慣れていないこの家の習慣をフォローしてくれると思っていたのですが、そういった気遣いはありません。

 また別の日は、仕事の後お風呂に入ると、夫はそっと出かけて行きました。パチンコに行き、仲間と飲んで帰ってくるのですが、「出かけてくる」とも告げずに当たり前のように出て行きます。独身時代の習慣だったのでしょう。義父母もそれに何も言いませんでした。

 義母の料理がおいしくないのも地味につらかったです。総菜を買ってくるとそれを何日も出されたり、おみそ汁は残り物に継ぎ足して作ったり。農家の仕事がそれほど忙しかったということもありますが、洗濯物も伸ばさないまま干すのでしわだらけ、掃除もめったにしていなかったようでしたので、家事は私がすべて行うことにしました。

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