夫婦の3組に1組が離婚するといわれる時代。結婚に理由があるのと同様、離婚にもまた理由があります。離婚までの4つの「峠」を経験者に打ち明けてもらいます。

冴子(仮名48歳、会社員)
25歳で結婚、38歳で離婚。現在は一人暮らし

峠1:違和感を抱き始めたとき

趣味に生きいつも不在の夫、不慣れな土地で孤独な私

「さえちゃんには仕事は無理だよ」という夫

 25歳のときに、会社の先輩だった元夫と5年の交際期間を経て結婚しました。彼は7歳年上で東京の大学を卒業してそのまま東京の精密機械メーカーに就職しました。同じ会社の先輩との結婚ということで、私の両親や親戚は、信用のできる身元のしっかりとした人だ、とご縁を喜んでいました。私は仕事を辞めて、ほどなくして彼の最初の転勤先である福井県に引っ越すことになりました。

 夫はお付き合いしていた頃から、出張が多く、週末も自由を好む人だったので、頻繁に会うような密なコミュニケーションを取っていなかったのですが、結婚後も変わらず自分だけの時間を謳歌していました。週末は必ず一人で趣味の釣りに出かけて、私は不慣れな土地で友達もいなくていつも孤独でした。田舎で何も刺激がなく、専業主婦だったので時間を持て余していましたが、夫に仕事をしようかなと相談すると「さえちゃんには絶対に無理だよ。体も弱いし、大変だと思うから仕事なんてしないで家でのんびりしていたら?」と全く取り合ってもらえませんでした。

 その後、彼の京都支店への転勤が決まると同時に、京都にある私の祖父母の残した古家に移り住むことになりました。結婚後すぐに福井に引っ越し、初めての土地で4年間過ごしたのですが、もうすでに夫との結婚生活には違和感を抱きつつありました。京都転勤のとき、祖父母の古家への移住を彼が断ってきたら別れようと思っていました。普段は他愛のない会話が中心で、答えをはぐらかされることもよくありました。それでも肝心な部分のコミュニケーションが取れていれば夫婦関係は継続できたかもしれません。行動の掴みどころの薄い夫だったため、私が何か提案したらどう出てくるのかが全く⾒えなかったのです。結果的には祖父母の家に移ることに賛成してくれたので、そのときには離婚には至らなかったのですが。

 彼の出身地は山口県の田舎。山間部に代々続く旧家でした。勤勉で几帳面(きちょうめん)な性格で、人から好かれる先輩という好印象を抱いて結婚したのですが、結婚後に分かったのは、田舎の両親や親戚との面倒な付き合いを避け、高校時代から親元を離れて暮らしていたということです。長男だったので、田舎のご両親は息子がいずれ戻ってくると信じており、それに対して彼は何の返答もせずに社会人となり、私と結婚したという経緯がありました。

夫に仕事をしようかなと相談すると「さえちゃんには絶対に無理だよ。体も弱いし、大変だと思うから仕事なんてしないで家でのんびりしていたら?」と全く取り合ってもらえませんでした
夫に仕事をしようかなと相談すると「さえちゃんには絶対に無理だよ。体も弱いし、大変だと思うから仕事なんてしないで家でのんびりしていたら?」と全く取り合ってもらえませんでした
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