父親や兄の影響で子どもの頃からクラシックをはじめ多様な音楽に親しみ、渋々習い始めたピアノにもすっかりのめりこんだというふかわりょうさん。お笑い芸人となってからも音楽活動をコンスタントに続け、8年間MCを務めたFMラジオのクラシック音楽番組は、素晴らしい音楽と人との出会いの連続だったといいます。そんなふかわさんの生き方や仕事に対するスタンスも、音楽を通してつくり上げられていったものでした。

(上)周りと違う音楽体験、大人になり報われた
(下)同じ曲調、同じリズムの人生はつまらない ←今回はココ

「幸か不幸か」ではなく「長調か短調か」で考える

 僕がやっているブログは「life is music」というタイトルなのですが、昔から人生を音楽だと思ったり、共演者を楽器と思ったり、なんでも音楽に置き換えて考えているところがあります。「僕の人生は今何楽章だろうか?」とか。

 例えば悲しい出来事や、自分にとっては不幸だと感じることがあったとしても、人生が音楽だと思えば、長調のときもあれば短調のときもあるのは当然。いいか悪いか、幸か不幸かではなくて、すべてを受け入れることができるんじゃないか。そういう考え方をいろんなところに当てはめています。人はみんながそれぞれの楽器を奏でていると思えば、争いごともなくなるかもしれないですよね。

 仕事でうまくいかないことがあると、そのときはそのときでもちろんつらいんですけど、全部長調、全部同じテンポ、全部同じリズムだったらそれはやっぱりつまらない音楽です。

 芸能界で26年仕事をしてきましたが、やめたいと思ったことはありません。なぜなら、芸人というもの、笑いというものが、概念としてすごく大きなものだと思っているので。だから別にやめる、やめないじゃなくて、何をしていてもやっているとも捉えられるんですよね。

 例えば全然テレビに出ていなくてゲームしかしていなくても、僕は芸人をやめたとは思いません。その生きざまが面白かったら十分芸人ですから。むしろシステムにあぐらをかいて、無難な仕事をし続けている人のほうが、僕にとってはあまり望むスタイルではないです。

 例えるなら、僕はエリック・サティの「ジムノペディ」みたいな芸人でいたいです。とらえどころのない、どこかをたゆたうあの曲のように、常に不安定で何だかよく分からないまま、不可解なまま進んでいくほうがいい。

「人間の営みを音楽に置き換えて考えると、悲しいことやうまくいかないことも受け入れられると思うんです」
「人間の営みを音楽に置き換えて考えると、悲しいことやうまくいかないことも受け入れられると思うんです」