東日本大震災の被災地支援に携わっていたときに、ひょんなことから音楽を通した子どもたちの支援活動の可能性を探り始めた菊川穣さん。海の向こうから舞い込んだ想定外の「むちゃぶり」が結果的に後押しとなって、2012年に3月に団体を設立、活動が走り出しました。日本でも格差の問題が年々深刻になる中、「間口の広い、不要不急の支援だからこそ意味がある」と語る菊川さんに、この10年で見えてきた手応えと課題について聞きました。

(上)「エル・システマ」を日本でやれるとは思っていなかった
(下)「困難を抱えた子」だけを支援の対象にしないことが大事 ←今回はココ

勘違いの電話から日本のエル・システマが動き出した

 「日本の相馬でエル・システマが誕生し、子どもオーケストラができると聞いた。私たちが今年の秋に開くチャリティーコンサートで集めたお金を寄付したい」

 2012年2月、突然ドイツからかかってきた国際電話の相手は、私にそう告げました。いやいや、やりたいとは思っているけれどまだ何も形になっていないし、一体何を言っているのか……。

 その人は、ペーター・ハウバーさんという小児科医で、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)という組織のドイツ支部のトップの方。私にエル・システマの話を持ちかけたベルリン・フィルのホルン奏者、ファーガス・マクウィリアムさんの友人ということでした。IPPNWはこのハウバーさんが東西冷戦時代に西側の音楽家を巻き込んでモスクワでコンサートをやったりしていたことで、ノーベル平和賞を受賞しています。

 IPPNWは毎年ベルリン・フィルのメンバーとチャリティーコンサートを開いていたのですが、「今年9月のコンサートは相馬の子どもオーケストラのためにやることにした。昨日そのことをプレス発表したので、やってくれないと困る」とハウバーさん。返す言葉がありません。しばしの沈黙があった後、彼は「まあ、半年あるから何とかしてくれ。そしてぜひ9月のコンサートには来てほしい」と言い残して電話を切りました。

 その話を相馬市の人にしたところ、「それはめちゃくちゃですねえ。でも、頑張りますか」と言ってくれたのです。それで私もユニセフを辞めて、エル・システマの活動に専念しようと心が決まりました。

 3月に一般社団法人エル・システマジャパンを設立して、5月に相馬市と活動協定を締結。相馬の人の行動力はやはりすごくて、団体設立前の段階から、エル・システマの活動が始められるように行政の内部でいろいろと動いてくれていたんです。これには驚かされました。

 エル・システマが走り出すことができたのは、勘違いで先走ったドイツのハウバーさんも含め、いろんな人が奔走してくれたおかげです。一方で、予想以上に苦労したのが寄付集めでした。

「相馬市に話を持ちかけるときに、あえてトップダウンにしないことも意識しました。現場で働く人が熱意を持って動いてくれたこと、市長に自分たちの言葉で説明に行ってくれたことの意味は大きかったと思います」
「相馬市に話を持ちかけるときに、あえてトップダウンにしないことも意識しました。現場で働く人が熱意を持って動いてくれたこと、市長に自分たちの言葉で説明に行ってくれたことの意味は大きかったと思います」