エル・システマをやるなら相馬市でと思った理由
音楽でおなかが満たされるわけでも、生活が楽になるわけでもありません。でも、困難なときに音楽が支えになることは南アフリカで実感していました。当時はアパルトヘイトが廃止された後でしたが、まだ日常の中に差別や迫害は残っていて、人々は歌ったり踊ったりすることで、一致団結して困難な状況に立ち向かっていました。
また、エル・システマを日本でやる場合の考え方として参考になったのも、アフリカでの支援の経験でした。エル・システマは、英語で言うと「The system」。単に取り組みがユニークということでなく、音楽教育としても質の高いものであり、かつ制度として確立しているからこそ、一流の音楽家も感銘を受け、世界各地に広がっていきました。「やり始めたけれどお金がないからやめます」では制度とはいえませんし、持続的な活動として現場を回していくのは、現地の人でなくてはならないのです。
ユニセフの支援活動は、学校や病院など、既にある仕組みを使って行うのが常道です。日本の地方都市でエル・システマを始めるなら、学校からアプローチする形で、自治体との共同事業にするのがいいだろうと思いました。
相馬市で話を進めようと思ったのは、公立小学校に弦楽オーケストラがあるなど、音楽がさかんな地域だったことが一つ。あとは震災の支援活動を通して、相馬の人たちの自ら考え、行動する姿勢と自立心の強さが印象に残っていました。ここならきっとうまく活動が回っていくだろうという直感がありました。
とはいえ、ずっと働いてきたユニセフをやめて1人で団体を立ち上げるなんて、考えてみれば無謀な話です。市の職員や教育委員会の人に相談して興味は持ってもらうものの、どう具体化するか考えあぐねていた2012年2月のある日、1本の国際電話がドイツからかかってきました。面識もないその電話主の言葉が、日本でのエル・システマ誕生を後押しすることになったのです。
続きの記事はこちら
⇒「困難を抱えた子」だけを支援の対象にしないことが大事
取材・文/谷口絵美(日経xwoman ARIA) 写真/鈴木愛子
一般社団法人エル・システマジャパン代表理事