ビジネスの転機で背中を押してくれたシンフォニー、大切なライフイベントを彩ったアリア…クラシック音楽を愛する各界のリーダーが、自身にとって忘れられない一曲と共に人生を語ります。今回は番外編として、作家の恩田陸さんにお話を聞きました。ARIA世代の1人でもある恩田さんは大のクラシックファン。国際ピアノコンクールを舞台にした直木賞受賞作『蜜蜂と遠雷』は、映画化されて現在公開中です。そんな恩田さんが「聴く度に新鮮」と絶賛する伝説的な名演とは?

―― 恩田さんとクラシックの出会いはいつでしたか。

恩田陸さん(以下、敬称略)  4歳から中学2年生までピアノを習っていて、その頃から聴いてはいました。父がクラシック好きで、父が持っていたレコードの中でもリヒテル(20世紀を代表する巨匠ピアニスト)の演奏は強烈に印象に残っています。

 我が家は引っ越しが多くて、5回くらいピアノの先生が変わったんですね。その中で4人目の先生が、私が引っ越すときに「僕の一番好きなピアニスト」と言ってリパッティのレコードをくれたんです。

 ルーマニア出身のリパッティは1950年に33歳で亡くなった伝説的なピアニスト。とはいえレコードをもらった当時はそこまで印象に残っていなくて、ちゃんと聴いて面白いなと思ったのは、社会人になってからです。大学ではサークルでジャズのビッグバンドをやってジャズばかり聴くようになり、クラシックから離れていた時期が長くありました。

クラシックCD専門店の前で、ふと思い出した名前

―― 改めてリパッティの演奏を聴こうと思ったきっかけがあったのでしょうか。

恩田 社会人になってしばらくたった頃、当時住んでいた家の近くにクラシックCDの小さな専門店があって、前を通りかかったときにふとリパッティのことを思い出したんです。先生にもらったレコードは、一家のレコードをまとめて処分した時期があって、手元に残っていなかったのですが、当時はリパッティの音源がどんどんCDになっていたので、そのお店で買って改めて聴きました。そこからシューマンの協奏曲が好きになって、他のクラシックもまたいろいろ聴くようになって。このときに買ったCDは今も繰り返し聴いています。

 その後、シューマンの協奏曲はいろんな人が演奏するものを聴きましたが、やっぱり私にとってはリパッティが一番です。