「不真面目な医学生」から一転、研修医になって医師の仕事の面白さに目覚めた東京大学大学院医学系研究科教授の宮崎徹さん。一方で「治せない病気」の多さを目の当たりにし、臨床から基礎研究の道に進むことを決めます。偶然発見したたんぱく質「AIM」は何年調べても正体不明のままでしたが、直感に従って研究を続けた結果、多くの病気を治す働きがあることをついに解明。人の医者でありながら猫の腎臓病治療にも取り組むことになった宮崎さんに、AIMに込めた思いを聞きました。

(上)完璧の先を追い求めたカラヤンが人生の手本
(下)「猫の腎臓病」に挑む東大教授 個人からの寄付も殺到 ←今回はココ

 医学部を卒業して研修医になると、目の前にいる患者さんの命を助ける臨床の仕事に大きなやりがいを感じる一方で、たくさんの治せない病気があることも分かってきました。

 治せない病気を治したい。私は臨床を離れて基礎研究の道に進みたいと考えるようになったのですが、何も知らないなりに、細胞や遺伝子といった細かいことを研究しても、腎臓病や自己免疫疾患などを治せるようになるとは思えませんでした。

病気とは、「オーケストラの響きが濁っている状態」

 その頃よく考えていたのが、健康な体はいわばオーケストラがすごく美しい響きを奏でている状態で、病気は響きが濁った状態なんだろうなということです。響きが濁っているときは、例えばオーボエの音のことだけを詳しく調べても問題は解決しません。個々の楽器のことを知った上で、オーケストラをまるごと全体で見て、響きを調整していく必要があります。同じことが病気にも言えて、専門性を深めていくだけではだめなのではないか。

 細部にこだわりながらも、同時に広く全体を見渡す。このときは単なる直感でしかありませんでしたが、私が音楽から学び、今も研究者として常に意識していることです。

 仕事の合間にそんなことを考えていたある日、何気なく手に取った医学雑誌で、熊本大学の山村研一教授の文章が目に留まりました。山村先生の研究室では、遺伝子を改変してマウスの体全体を観察するという当時としては先駆的な実験手法で病気の研究を行っていたんですね。読み終わったときに、「ここに勉強しに行かなきゃだめだ!」と思いました。

 27歳のときに熊本大学大学院に入学。基礎研究医としてのキャリアがスタートしました。

 熊本では研究者の基礎となることをいろいろ教わりました。実験を正確に行うための技術的ないろはも知らなかったので失敗も多く、中には風当たりの強い先輩もいたりして、初めの頃は泣きたくなることもしばしば。直前までは病棟の人気者でしたから(笑)、その落差が大きかったんです。とにかくここで何かを身に付けなくてはという信念を支えに、「フルトヴェングラーにいじめられたカラヤンもつらかっただろうな」などと思いながら自分を励ましていました。

「東大を卒業してから地方の大学院に進むケースはあまりないのですが、私はそういうことは全然気にしません。そのときに一番よさそうだと思ったものを選んで、行動あるのみです」
「東大を卒業してから地方の大学院に進むケースはあまりないのですが、私はそういうことは全然気にしません。そのときに一番よさそうだと思ったものを選んで、行動あるのみです」