ビジネスの転機で背中を押してくれたシンフォニー、大切なライフイベントを彩ったアリア…クラシック音楽を愛する各界のリーダー層が、自身にとって忘れられない一曲と共に人生を語ります。今回登場するのは、日本ヴァイオリン代表取締役社長の中澤創太さん。両親の仕事柄、ヴァイオリンの魅力を身近に感じながら育つ一方、7歳の頃からクラシック音楽業界の現状に危機感を抱いていたとか。そんな中澤さんが大学時代、将来の方向性を見いだすきっかけになった一曲とは?

(上)大ホールを貫くストラディヴァリウスの際立つ響きに圧倒 ←今回はココ
(下)5年がかりで幻の名器を東京に集結 無謀でも撤退はなし

ヴァイオリンはみんなが習っているものだと思っていたら…

 生まれたときから、僕の周りにはヴァイオリンがあふれていました。父はヴァイオリンの製作や修復を行う職人で、母はヴァイオリニスト。父が設立した日本ヴァイオリンという会社では、オールドヴァイオリンの売買も手掛けています。ヴァイオリンの音色は母のおなかにいるときから聴いていたし、自宅にはヴァイオリンケースやヴァイオリンがたくさん置いてありました。

 3歳からは母にヴァイオリンを習い始めましたが、どちらかというと僕は弾くことより楽器そのものが好きだったように思います。弦楽器は新品よりも、優れた職人が生み出し、長い歳月の中で多くの奏者に弾き継がれてきたもののほうが音色により深みが増し、高い価値を有します。そうした楽器を鑑定したり、取り扱ったりする父の仕事を魅力的に感じていました。

 僕、ヴァイオリンはみんなが習っているものだと思っていたんですよ。でも小学校に入ったら、全校生徒で僕一人だけ。クラシック音楽の話を友達にしても全然盛り上がりません。自分の当たり前とみんなの当たり前が全然違う現実を知り、ヴァイオリンをやっていることがなんだか恥ずかしくなってしまったのを今でも覚えています。

 僕は今、父の会社を継ぎ、ヴァイオリンを通してクラシック音楽業界を盛り上げたい、社会に貢献していきたいと考えています。その出発点は7歳の頃、「こんなに知られていないこの業界、大丈夫かな?」と思い始めたことかもしれません。

 でもそうした危機感の一方で、ヴァイオリンの力はすごいと思うこともいろんな場面でありました。

 高校は将来父の跡を継ぐことも考えて、世界中から名器が集まるロンドンに留学したいと考えました。しかし英語が全然話せなかったので、軒並みどの学校も入学お断り。最後の頼みの1校に願書を出したけれど、やはり良い返事はもらえませんでした。それでも、仲介してくれた方へのお礼にと、母が会議室で楽器を取り出し、一曲弾いたんです。そうしたら相手が感動して涙を流し、願書を受け入れてくれるよう動いてくれた。これってもう、ミラクルですよね。

 ヴァイオリンこそがクラシック音楽業界の発展に不可欠。そう思っていた僕の将来の目標をより明確にしたのが、大学生のときに聴いたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番です。