明電舎が納めていた電気設備の耐用年数は短くて15年、長くて30年ほどです。そのためなかなか入れ替えの時期が訪れず、いざ入れ替えとなると、競合他社が参入を狙ってきます。私が担当していたのはまさにそういうタイミングでした。

 新規営業の場合、うまくいかなくても失うものはありませんが、既にある取引先を失うというのは大変なこと。シェアを守るためにはより一層の工夫と努力が必要です。普段からお客様に寄り添い、多様な困りごとを解決する。そして設備を入れ替える際にも、効率的なプロセスで、より優れた設備に更新する方法を考える。徹底して設備を使うお客様の立場に立った提案をすることで、常に選ばれる会社であり続けなくてはなりません。「守りの営業」は神経戦に近く、面白い半面、かなり疲弊する仕事でした。

 また、放送休止となる夜中の数時間を使って行われる設備の入れ替えにも立ち会いますし、NHKを担当していた15年間は、大みそかはほぼNHKホールで過ごしました。紅白歌合戦のときに、機材トラブルで電気が止まるようなことがあっては絶対にだめですからね。もちろん私に機械の修理ができるわけではありませんが、万一のときはすぐ対応に当たれるよう、常に現場にいることが大事な役目でした。

 そうやって昼夜問わずNHKに足を運ぶことが楽しかったのですが、無理がたたったのか、後に体を壊してしまいました。

50歳の冬の朝、体の異変に気付いて病院へ行くと…

 2005年、営業から未経験の総合企画部に移って部長職に就いた50歳の冬、朝起きて支度をしていたら、首が腫れていることに気が付きました。普段お世話になっているかかりつけの病院で診てもらい、いろいろと検査をした結果、すぐに入院。その後9カ月間にも及ぶ休養が必要になるほどの大病を患っていることが分かりました。

「おかしいなと思って病院に行って、まさかそのまま入院になるとは夢にも思いませんでした」
「おかしいなと思って病院に行って、まさかそのまま入院になるとは夢にも思いませんでした」