「復活」の出だしは弦楽器のトレモロ(短い音の反復)から始まるのですが、すぐにそれが小さくなり、チェロの力強い旋律が入ってくるんですね。本番当日、チェロの旋律の裏で静かにトレモロを刻みながら、半年間の大変だった練習の思い出がよみがえってきました。その後は無我夢中で弾いていたので全然記憶がないのですが、冒頭のことだけは今でも鮮明に覚えています。

 演奏会が終わった後も意気投合した仲間たちとの交流は続き、弦楽器の有志で「アンサンブル・フラン」という合奏団を結成しました。卒業前に一度だけ演奏会を開いて解散するはずだったのですが、アンサンブル・フランはその後も存続。私は10年ほどで仕事が忙しくなって参加できなくなりましたが、結成から40年以上たった今も、当時の仲間の何人かは頑張って活動を続けています。

三井田さんが参加したジュネスの演奏会パンフレットの表紙と、練習中のスナップ写真。当時の仲間に現物をスキャンして送ってもらったもの
三井田さんが参加したジュネスの演奏会パンフレットの表紙と、練習中のスナップ写真。当時の仲間に現物をスキャンして送ってもらったもの

明電舎に就職、NHKの営業担当に

 大学を卒業して明電舎に就職し、長く営業畑を歩みましたが、中でも印象に残っているのが、ジュネスで縁のあったNHKの営業を担当したことです。重電機器メーカーである明電舎は、上下水道や鉄道といった社会インフラをはじめ、多種多様なお客様に発電機や変圧器、配電盤などの電気設備を納入しています。そうしたお客様の1つが放送局です。

 NHKの中、特に放送センターには数多くのスタジオ照明や電波を送出する設備、録画機材などがあります。それらに安定した電気を送る役割を担うのが、当社が手掛けるような電気設備です。放送局向けの電気設備はバックアップが重要で、そのための設備もかなりの量を必要とします。ただ、それはテレビ放送が始まってからの話で、ラジオ放送だけの時代は設備容量もそれほどではなく、注目される市場ではありませんでした。

 しかし、我々の先輩たちはテレビの時代が本格的にやってくることをいち早く予見し、営業活動に注力しました。その結果、NHK放送センターが1964年に内幸町から現在の渋谷に移転した際に、電気設備はすべて明電舎の製品を採用してもらったのです。その後、NHKの営業担当になった私の役割は、先輩方が獲得したシェアを守ることでした。