人が消えた空港 駐機場に並ぶ飛行機を見て涙が出た

 ANAの社長時代に直面した新型コロナウイルス禍は、これまでの人生を振り返ってみても最も大きな困難でした。一時は会社が文字通り生きるか死ぬかという状況でしたし、2年連続で大幅な赤字も出しました。

 2022年にANAは創業70周年を迎えるのですが、70年前にANAの前身となる会社を創業した初代社長の美土路昌一(みどろますいち)は、「現在窮乏、将来有望」という言葉を唱えて社員を鼓舞したという話が残っています。私は、「今は第二の創業期だ」として、この言葉を社員に伝えてきました。

 希望は降って湧いてくるのではなく、自分たちで開拓し、見いだしていくもの。ANAはヘリコプター2機から始まった会社で、今でいうスタートアップでした。既存の事業があるわけではなく、社員がみんなで考えて、仕事を見つけて、お金を稼げるものに変えてきた。だから今は、創業期と全く同じなんです。

 ほとんど焼け野原みたいな状況から再出発するためには、社員一人ひとりが現状を正しく理解し、自分たちで未来を築き上げて、将来を有望なものにしていくのだと、いろいろなところで言って回りました。

 コロナ禍に突入した最初の頃は、全く飛行機が飛ばせない時期もありました。空港に駐機している飛行機を見るのもつらく、涙が出ましたね。空港の中を歩いてもお客さまは見当たらず、うちの係員がぽつんと立っている。話しかけると、「私たちの生活はどうなるんでしょう」と言われました。そうした声に社長としてなんと答えればいいのか……。本当にいろいろなことを自問自答しながら対策に当たる日々でした。

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取材・文/谷口絵美(日経xwoman ARIA) 写真/鈴木愛子

平子裕志
ANAホールディングス取締役副会長
平子裕志 1958年、大分県生まれ。81年に東京大学経済学部を卒業し、全日本空輸に入社。東京空港支店旅客部長、企画室企画部長、執行役員米州室長兼ニューヨーク支店長、ANAホールディングス取締役執行役員などを経て、2017年4月に全日本空輸代表取締役社長に就任。22年4月から現職。