人知れず苦悩しながらもスマートに振る舞う姿に共感

 最終的にヴァルターは歌合戦で優勝し、エファとも結ばれることになりますが、「旧弊な制度にしばられるマイスターにはならない」と言います。それを聞いたザックスは、マイスター制度の歴史や価値を彼に説いて、物語は大団円を迎えます。

 『マイスタージンガー』は音楽もオペラとしての構成も本当に素晴らしいのですが、なにより私が引かれたのは、貴族のような特権的な人々ではなく、市民社会を題材にしている点です。ザックスという人物は、町の人々からの尊敬を集め、周りからはいつもスマートに振る舞っていると見られています。でも迷いや悩みのない人間なんていないですよね。ザックスは、自分がそういった苦悩を優雅に御しながら高潔な仕事をしていると人々に理解されていることに、プレッシャーを感じながら生きている。そう語る場面がオペラの中に出てきます。

 彼はまた、「人生の春においては、誰でも素晴らしい歌を歌うことができる。だけど春から夏になって秋が来て冬になって、人生の憂いを感じ始める頃にこそ、美しい歌を作れるのがマイスターなんだ」と言います。こういうメッセージが私にはすごく響きましたし、教訓にもなるんです。ザックスの生きざまを仕事人としての自分に重ね合わせて共感する部分がありましたし、私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。2017年にANAの社長になってからは、その思いが一層強くなりました。

「前奏曲だけを聴いたときから直感的に引き付けられた『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、オペラ全編を見て以降、ますます自分を支える、人生のパートナーとも言うべき作品になっていきました」
「前奏曲だけを聴いたときから直感的に引き付けられた『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、オペラ全編を見て以降、ますます自分を支える、人生のパートナーとも言うべき作品になっていきました」