よそ者こそが硬直した組織を変えるきっかけになる

 第1幕への前奏曲は実はオペラ全体のモチーフになっていて、前奏曲を構成する旋律がオペラの至る所に出てきます。つまり、この作品が伝えたいメッセージが、前奏曲に巧みに凝縮されているのです。

 ワーグナーのオペラは『トリスタンとイゾルデ』や『ニーベルングの指環』など、神話や伝説、中世の叙事詩などを題材にした暗くて重厚な悲劇が多いのですが、『マイスタージンガー』は唯一といっていい喜劇、ハッピーエンディングの作品です。主人公のハンス・ザックスはドイツに実在した靴屋の親方(マイスター)。マイスタージンガーは「職匠歌手」と訳されたりしますが、職人としての本職を持ちつつ自身で作詞作曲して歌う音楽家のことで、中世末期のドイツでは多くのマイスタージンガーが活躍しました。ドイツ南部の商工業都市ニュルンベルクは、多くの親方たちの歌唱芸術が花開いた都市です。

 ザックスはギルド(商工業者の組合)の中心的な存在として周囲の尊敬を集めていましたが、一方で、伝統やしきたりを重んじるマイスター制度というものに限界を感じ始めてもいました。そんなときにフランケン地方から若い騎士ヴァルターが町にやってきます。彼は金細工の親方の娘エファと恋仲になりますが、エファは父親の意向で、翌日行われる親方たちの歌合戦で優勝した人から求婚されることになっていました。ヴァルターも歌合戦に参加したいと言い出しますが、よそ者の彼はマイスター制度のことも、歌の作法も知りません。ヴァルターの歌はとても美しいものでしたが、さまざまなルールを無視した形式だったので、親方たちから散々こけにされました。

 でも、ザックスは「これだ」と思ったんです。よそから来たルールを知らない人間が、硬直化したマイスター制度を変えるきっかけになるのではないか。今の制度や歌の作法をヴァルターに教えつつも、新しいものを受け入れて変えていきたいとザックスは考えた。ここに私は、この物語の一番の良さがあると思っているんです。

左は平子さんが2014年にメトロポリタン歌劇場で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を観劇したときの公演プログラム。右は劇場で購入した同作のDVD
左は平子さんが2014年にメトロポリタン歌劇場で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を観劇したときの公演プログラム。右は劇場で購入した同作のDVD