高校時代にピアノにまつわる傷心を経験しつつも、ドビュッシーの「月の光」を通して、改めてピアノを弾くことを心から楽しいと思うようになったという五月女ケイ子さん。一方将来の進路では、好きな絵を仕事にしようと、独学でイラストレーターの道を歩み始めます。ところが幸先良く人気雑誌から仕事の依頼は来たものの、手応えの感じられない日々が続き……。そんな五月女さんが、自分の表現のスタイルを確立した転機とは?

(上)話すのは苦手、ピアノなら内面を出せた
(下)仕事の依頼を「ちょっと飛び出す」楽しさ ←今回はココ

遊び半分で初めての試み 考えて描くって楽しい

 独学でイラストを勉強し、出版社への持ち込みが採用されて仕事をするようになった当時の私が描いていたのは、薄い色彩でガーリーなタッチの絵でした。一方で今の私の作風に近いインパクト強めの絵は、お遊びのような形で描いていました。

 あるとき夫(放送作家の細川徹さん)に、「『徹子の部屋』の他の部屋はどうなっているのか、っていうネタを考えたので、図解イラストを描いてほしい」と言われたんです。出来上がったら出版社に持ち込みに行こうか、という感じでした。

 夫のリクエストは、「昔の『少年マガジン』のグラビアみたいなタッチ」。「『徹子の部屋』のソファの下は実は地下室につながっていて、落ちたら死んでしまう」みたいなお題を文章で渡され、それをレトロでちょっとおどろおどろしく、怖がらせるような雰囲気の絵にしてほしいということでした。そのときに初めて、「どんな絵をどんなふうに描いたら伝わるだろう、面白くなるだろう」っていうのを考えたんです。

 もともと私は話すのが苦手なぶん、子どもの頃から考え事をするのが大好き。「○○ちゃん、私のこと好きかなあ、あの子のほうがお気に入りじゃないかなあ」みたいなことに始まって、常に雑念や煩悩のスパイラルを歩んできました。むしろ考え事をしているほうが調子がいいくらいです。

 分からないことを想像したり、頭の中でぐるぐる考えたりする得意技を、このとき初めてイラストにつなげることができた。1~2週間くらいかけて描き上げたとき、「考えて描くって楽しいな」と思いました。

 完成したものを漫画雑誌の編集部に見せに行ったら、すごく面白がってくれました。ただ、「『徹子の部屋』は(許諾の問題で)ちょっと無理かなあ~」ということで、採用は見送り。そりゃそうですよね(笑)。

 お題を絵で表現する楽しさに目覚めたものの、仕事としてこういうスタイルのニーズはなかなかないだろうな……と思っていたら、転機が訪れました。2000年、BSデジタル放送の開始と同時に開局したBSフジの『宝島の地図』という番組で、イラストを手掛けることになったんです。

「『徹子の部屋』をテーマにしたお題を夫からもらったとき、『どんな絵にしたら面白さが伝わるだろう』と考えて描く楽しさに目覚めました」
「『徹子の部屋』をテーマにしたお題を夫からもらったとき、『どんな絵にしたら面白さが伝わるだろう』と考えて描く楽しさに目覚めました」