進学した上智大学では、今しかできないことをやってみようと思ってオーケストラ部へ。初心者でもやらせてもらえるファゴットを選びましたが、全然うまくならなくて、1年の終わりごろにはオケを辞めようと思っていました。マタチッチの演奏会に行ったのはそんな頃です。

「今夜の演奏会は、何が何でも来い!」

 当時はN響のファゴット奏者の菅原眸(ひとみ)さんにみんなでレッスンを受けに行っていたのですが、冒頭の3月7日は、学内の卒業演奏会に出演する先輩を指導するために菅原先生が大学まで来てくれていました。その場にたまたま居合わせた僕に、先生が「おう岩野、今夜のN響の演奏会は招待してやるから、何が何でも来い!」と言ったんです。そんなことは初めてでした。

 あの時先生に演奏会に誘われなかったら、今の僕はなかったと思います。人生のスイッチがそこで完全に切り替わってしまった。ステージ上で起こった「奇跡」に衝撃を受けて、クラシックの中でもオーケストラというものに特別な興味を持つようになりました。

 その後、たまたまオーケストラ部の先輩の紹介で、新日本フィルハーモニー交響楽団の事務局でアルバイトをすることになり、卒業までの3年間どっぷり音楽業界につかりました。卒業後も残らないかと言ってもらったのですが、一度外の世界に出てみたかった。僕は鉄道好きの「鉄ちゃん」でもあるので、旅行ガイドブックを作りたくて実業之日本社に就職。希望通りガイドブックの編集部に配属されました。

 音楽は好きでしたが、仕事にしたいという意識はありませんでした。それなのに、僕はその後音楽ジャーナリストとして、いつの間にか会社員と2足のわらじを履くことになります。きっかけは、指揮者の朝比奈隆さんでした。