夫の留学について渡米することになったのを機に、自身もボストン大学大学院で2年間マーケティングを学び、帰国してから本格的なビジネスキャリアを歩み始めた小出寛子さん。取引先に誘われる形でユニリーバに転職すると、そこには思いがけない出来事が待ち受けていました。インタビュー後編は、逆境を乗り越えて得た仕事の手応えや病気休養中に出会った新たな音楽の世界、そして現在務める社外取締役の仕事について聞きました。

(上)50代でヴィオラを再開 想定外続きの人生で音楽が支え
(下)三味線の家元、若手起業家…新しい出会いが世界を広げた ←今回はココ

誘われて行った転職先に…誰もいなくなった

 娘を出産してから勤務先の広告代理店に復職して間もない30代半ば、担当していたクライアントに誘われる形で、「Lux」のブランドマネジャーとしてユニリーバに転職しました。ところがようやく会社のことを理解し始めた1カ月後、私を引き抜いた人が、元上司に誘われる形でユニリーバを辞めてしまったのです。しかも彼は、同じレベルのポジションにいた数人も連れて行ってしまった。マーケティング部門の中核的な人材がまとめていなくなりました。

 「あれ、誰もいないんですけど? 私を指導してくれるんじゃなかったの?」。あんまりな状況にぼうぜんとしましたが、会社としても、この転職してきたばかりでよく分かっていないブランドマネジャーを何とかサポートして、仕事を回していかないとまずいと思ったのでしょうね。逆に組織の結束力が高まったんです。

 私がとにかくやるしかないという勢いで仕事に取り組んでいると、「小出さん、これはこうなんですよ」と周りが親切に教えてくれたし、ちょっとぐらいの失敗も、頑張りを分かっているからこそ許してくれました。今にして思えばですが、結果的に早く独り立ちできてよかったのかもしれません。

 当時、ユニリーバには大きく分けて食品事業、洗剤石鹸(せっけん)事業、シャンプーや制汗剤、洗顔剤などを扱うパーソナルケア事業の3つがありました。食品と洗剤石鹸事業は歴史が長く、予算も大きくて勢いがあったのに比べて、私が所属したパーソナルケア事業はまだ小さな存在でした。

 でも、低いところから上を目指していくほうが、ビジネスとしては面白いですよね。外からではあったけれど、既に4年間携わってきたブランドなので愛着があるし、「こういうふうに変えたらもっと伸びるんじゃないか」というアイデアも自分なりにいろいろ持っていました。

 いろんなタイミングも重なってパーソナルケア事業はその後ぐっと伸び始めて、ヘアケア部門のマーケットで外資系メーカーとして初のシェア1位を取ることができました。

「ユニリーバでは英国の本社が主催するグローバルの研修にもたくさん参加させてもらい、海外の人たちの仕事に対するプロ意識の高さや日本にはない発想に、すごく刺激を受けました」
「ユニリーバでは英国の本社が主催するグローバルの研修にもたくさん参加させてもらい、海外の人たちの仕事に対するプロ意識の高さや日本にはない発想に、すごく刺激を受けました」