当時は男女雇用機会均等法が施行される前で、4年制大学を出た女子学生は就職自体が難しい時代。同級生を見ても、研究者か国家公務員、あるいは弁護士などの資格を取って士業に就く人がほとんどで、一般企業の求人は、お茶くみやコピーといった補助的な仕事ばかりでした。

 なかなか就職先が決まらずにいたとき、オーケストラの先輩で出版社の音楽之友社に就職した人がいて、「うちの試験はこれからだよ」と教えてくれたんです。試験の傾向と対策についてアドバイスをもらい、なんとか合格しました。

想定外の退職、でも「これはこれで面白いかも」

 雑誌編集の仕事は男女の差もなく、好きな音楽にも関われるのですごく面白いものでした。でも、4年で退職することに。結婚と同時に、夫が勤務先からMBA留学で米国に2年間派遣されることになったためです。

 仕事はできれば続けたかったので、辞めるかどうかはすごく迷いました。休職して2年後に復職できないかも、上司に聞いてみたんですよ。でも、そんなことを受け入れてもらえる時代でもなく……。

 悩んだ末に、今は米国に行ってみようと決めました。ただ、その後の仕事につなげるために私も大学院に行くことにしたんです。情報が簡単に手に入る時代ではないので学校探しも一苦労でしたが、必死に勉強して、夫が通うMIT(マサチューセッツ工科大学)と川をはさんで向かい側にあるボストン大学大学院に受かりました。

 仕事を辞めざるを得なかったことに最初は落ち込みましたけど、新しいことが始まると、それはそれでまたワクワクするんですよね。思えばその後の私のキャリアも、予想外の展開の連続でした。目標に向かって頑張ることももちろん大事ですが、人生ってそんなに思い通りにはいかないですし、知らないだけで、もっと面白いこと、もっと別のチャンスがあったりするかもしれないですよね。考えていたのとは違う状況になっても、「これはこれで面白いかも」と思えたら、元の道にあまり固執せず、とりあえず試してみる。それが私の人生訓になっています。