「その先の選択の幅が広く残るほうがいい」と東大へ

 歌の個人レッスンにも通うようになり、2年生でソリストとしてオペラのステージに立つと、たまたま公演を見に来ていた東京芸大の先生が「彼女は芸大に来ればいいんじゃないの?」と言ってくださったと聞いたんですね。一方で、進学校だったので、文系なら東大を受けるのが当たり前のようなところがありました。高校生なんて怖いもの知らずですから、「そっか~、私、どっちにも行けそうなんだ!」ってすっかりいい気分です(笑)。本当にのんきなものでした。

 進路には迷いましたが、最終的には東大を受験することを決めました。なぜそうしたかというと、その先の選択の幅が広く残るほうがいいと思ったからです。音楽で世界に通用する一握りのトップになることは、ビジネスの一線で活躍できるキャリアを築くことよりずっと難しいこと。それに、普通の大学へ行った後で音楽の世界に戻ることはできるけれど、音大へ行ってから普通の大学へ行く人はまずいません。

 何かを選ばなくてはいけないときは、将来いろんな種類の人生を描くことができる道を選ぶ。これは、その後ずっと、私の行動の軸になっていきました。

「『その後の選択の幅が広く残る道を選ぶ』という考え方は今でもいいと思っていて、人生設計やキャリア設計についてアドバイスを求められたときにもよくお話ししています」
「『その後の選択の幅が広く残る道を選ぶ』という考え方は今でもいいと思っていて、人生設計やキャリア設計についてアドバイスを求められたときにもよくお話ししています」

 一浪して東大に入り、卒業後はいくつか内定をもらった中から、「広告を作る技術が身に付く」と具体的にイメージできた電通に就職しました。当時は男女雇用機会均等法施行からそれほど間もない時期。私は「この仕事がしたい」というよりも、女性がきちんとキャリアを形成できるところで働きたいと思っていました。

 もともと営業局が希望でしたが、マーケティング局に配属され、自動車メーカーを担当。そこからいろんな会社へ移りながらマーケティングの専門性を磨いていくことになるのですが、キャリアを考える上で大きな転機になったのは、電通で3年働いた後に転職した外資系の広告代理店時代です。