人材育成や組織開発を通して、働く人と組織に「元気の種まき」をしているタンタビーバ取締役の板谷和代さん。37年間勤めたJALで女性初の海外支店長としてウィーンに駐在したときは、大好きなクラシック音楽が街にあふれる環境が心の支えになったといいます。ウィーン時代の組織運営や、経営破綻後に社員のモチベーションが大きく沈んだ中で人材育成に取り組んだ経験を経て板谷さんが考える、理想的な組織のあり方、人の育て方について聞きました。

(上)JAL初の女性海外支店長「音楽の都だから頑張れた」
(下)心を育み、挑戦する機会を与え続けるのが管理職の仕事 ←今回はココ

「リポートの1枚も書かないで何をしている!」

 日本航空(JAL)での37年間を振り返ってみると、節目節目でさまざまな人に助けられました。最初は今も有楽町にあるJALプラザに出向していた29歳のとき。尊敬する女性取締役から「本社の関連事業本部に行ってほしい」と異動を告げられました。カウンターでの接客が天職だと思っていたので嫌でたまらず落ち込んでいたら、「関連事業本部で出会う人たちは、今後あなたが仕事をしていく上で大切な存在になる。私はあなたのためにも異動した方がいいと思ったからこの人事を承諾した」と言われました。

 会社が民営化し、半官半民時代にはできなかったホテルリゾートやショッピングモール、レストランなど多様な事業を手掛けるべく、社内の精鋭を集めたのが関連事業本部でした。事務担当として行ってみたら、いろんなことをやっている人が周りにいて、よく分からないけれど面白い。あるとき、ハワイに建設中のリゾートホテルにスパを作るかどうかを検討するに当たって、女性の意見も聞きたいとアメリカのスパ視察に連れて行ってもらったんですね。それが本当に楽しくて、「すっごくよかった!」としきりにしゃべっていたら、「会社の金で行ったのにリポートの1枚も書かないで何をやっているんだ!」と指導してくれた人がいて。それで書いたリポートをきっかけに、ホテル建設のプロジェクトチームの一員に選ばれ、30代中盤は夢中で仕事をしました。

 この頃、自分を鼓舞するために自宅で湯船につかりながらよく聴いていたのがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲です。特に第1楽章を聴くと「行けー!」っていう感じでテンションが上がりましたね。

タンタビーバ取締役の板谷和代さん。「私は目の前の仕事にがーっと突き進む性格。関わることになったハワイのホテルにほれ込んで、『このホテルのために私は頑張る!』と夢中でした」
タンタビーバ取締役の板谷和代さん。「私は目の前の仕事にがーっと突き進む性格。関わることになったハワイのホテルにほれ込んで、『このホテルのために私は頑張る!』と夢中でした」