第九はもともと好きだったので、コンサートの企画が持ち上がり、社内で合唱参加希望者の募集が始まると、歌いたい!と思って手を挙げました。本番の1年ほど前から週に1回、勤務エリアごとに参加者が集まって、パートに分かれて練習。海外に駐在している人もいるので、全員が集まったのは本番前日です。パイロットもいれば整備士、客室乗務員もいて、当時20代後半の私は都内でカウンターセールスをしていました。

 迎えた本番では、それまでの練習では出なかった高音が出たことに感動しました。サントリーホールという憧れの空間で、プロのオーケストラと2000人の大合唱が一つになる、本番ならではの高揚感と一体感。まさに「歓喜」という感じで夢中で歌いました。最後に「ゲーッテルフンケン!」と高音で歌いきった後の、会場から湧き上がった拍手は忘れられません。37年間JALに勤めた私にとっては、民営化という大きな節目や組織の活力を実感するイベントに立ち会えたという意味でも、一つの転機だったかなと思います。

ウィーン営業支店長として、楽友協会であいさつ

 第九にはもう一つ思い出深いことがあります。コンサートから19年後の2007年、ウィーンに駐在していたときのこと。アイデア力のある社内の友人が「国境なき合唱団」というチャリティー企画を立ち上げたんですね。世界各地を訪れて第九を歌うことが、困難な状況にある子どもたちへの支援にもなるというもの。冬のヨーロッパ線は閑散期なので、参加ツアーを組むことで飛行機の席も埋まります。音楽ファン憧れの会場で歌うことができて、参加費用として支払ったお金の一部が寄付される。そんな「楽しいボランティア」を世界中でやろうという壮大な企画です。

 第1回公演がウィーン楽友協会大ホール「黄金の間」で行われることになり、私はJALのウィーン営業支店長兼ジャルパックインターナショナルオーストリアの社長として、運営側の仕事に携わりました。それで何ともうれしいことに、コンサート当日、最初のあいさつをさせていただくことになったんです。

真ん中が「第九 2000人のコンサート」のビデオテープ。周りはウィーン駐在時代に出掛けたコンサートのチケットや、板谷さんが日本人会の「イベント部長」として主催したコンサートのパンフレットなど。どれも大切な思い出の品
真ん中が「第九 2000人のコンサート」のビデオテープ。周りはウィーン駐在時代に出掛けたコンサートのチケットや、板谷さんが日本人会の「イベント部長」として主催したコンサートのパンフレットなど。どれも大切な思い出の品