演奏する人がいて、音楽ができあがっている

 「あ、いまフルートがソロをとっている」「ヴァイオリンの人たちが一生懸命弾いている」……目の前に演奏する人がいて、音楽ができあがっている。それは、レコードでは分からなかった感覚でした。人が演奏するからこそ、時には音を外したりすることもあるけれど、そんなスリリングなところもライブの醍醐味。若いオーケストラを応援したい気持ちも湧いて、都響のファンになっていきました。

 当時の音楽監督は渡邉暁雄さんという指揮者で、この方がまた魅力的でした。フィンランド人とのハーフで、背が高くて立ち居振る舞いがものすごく優雅。お辞儀1つとっても他の指揮者とは違う典雅さが漂い、その様子を見ているだけでも来てよかったなあと思ったものです。

 それから都響とは50年近い付き合いです。その間には都響以外の主だった在京オーケストラの定期会員にもなって、本当にたくさんの演奏を聴いてきました。そんな僕の音楽人生にとって、今振り返ると大きな出来事だったと思うのが、マーラーの交響曲第1番「巨人」にまつわる体験です。1975年から79年の4年間で、渡邉さん指揮、都響の演奏という同じ顔合わせで3回聴く機会がありました。

 当時、日本のオーケストラにとってマーラーの交響曲はまだメジャーなレパートリーには入っていませんでした。それは若い都響も同じで、1回目に聴いた「巨人」は、全体的に旋律重視の演奏。モーツァルトやベートーヴェンに比べれば迫力はあるけれど、響きが薄めで、素朴な印象を受けました。

 それが2回目になると、少し音の彫りが深くなって、アンサンブルに緊密さが増します。前回の演奏から1年8カ月たった頃で、「おっ、この間聴いたのとはちょっと違うな」と思いました。

 そして3回目に聴いたのはさらに2年半後。アンサンブルはさらに厳しく研ぎ澄まされ、オーケストラ全体の音が立体的に迫ってくる、すさまじい演奏でした。「同じ指揮者と同じオケで、同じ曲がこんなに変わるのか!」。そのことに驚きを覚える一方で、1回目の、ちょっともたついたところもある素朴さが懐かしくも思えたんです。