各界で活躍するクラシック愛好家の方々が、自身にとって忘れられない一曲と共に人生を語ります。今回登場するのは、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)の研究員、古屋晋一さん。ピアノ演奏における「正しい体の使い方」の研究に長年取り組んでいます。もともと理系の勉強とピアノ演奏に同じくらい興味があり、大阪大学基礎工学部に進学後もピアノの練習に没頭。大好きなリストの曲を通じて後の研究につながる鮮烈な出来事を体験したといいます。

(上)ピアノか理系か 進路に迷った先に開けた「第3の道」 ←今回はココ
(下)唯一無二の天職 「こんな音を奏でたい」を科学で支える

 僕が大学院生の頃から約20年にわたって続けている研究は、ピアニストの方たちが思い描く「こんな音を出したい」「こんな音楽を表現したい」を実現するお手伝いをすることです。手や肩などを痛めることなく演奏活動を持続させながら、音楽表現を進化させていく。そのための科学的な根拠に基づいた体の使い方や練習方法を確立したいと考えています。

 この道を志したとき、先行する研究者は誰もいませんでした。だからこそ、自分がやるしかないとも思いました。なぜなら、僕自身ピアノが大好きで、もっと弾けるようになりたい一心で練習に打ち込み、できないことができるようになる喜びの大きさを知っているからです。

進路の第1希望は阪大、第2希望はジュリアード

 母がピアノ教師をしていたので、子どもの頃から家には当たり前のようにピアノがあって、ずっとヤマハの教室に通っていました。もっと専門的に習いたいと、高校生の頃からは音大の付属高校で教えている先生の個人レッスンを受けるようになりました。

 高校は理数科に通っていたのですが、僕の中では理系の勉強もピアノも同じくらい興味のあることでした。進路志望を提出するときに書いたのが、第1希望は大阪大学で、第2希望はジュリアード音楽院。ジュリアードは米国の世界的な名門音大で、当時はよく分かっていなかったとはいえ、ずいぶん大それたことを書いたものだと思います(笑)。ただ、音楽の道も真剣に考えていたのは本当で、進路相談の際にも関西の音楽系の大学に進学しようか迷っていることは先生にも話しました。

 理数科には大学の先生が授業をしに来てくださることがあって、その中に阪大で基礎工学を教えている井口征士先生がいらっしゃいました。井口先生は、世界で初めて自動伴奏ピアノを開発した方。右手でメロディーを弾くと、それに合わせて、今で言うAIが左手の伴奏をつけてくれるというものです。先生のお話は僕にとって衝撃でした。ずっとピアノか理系かという二元論で進路を考えていたのですが、2つをかけ算することもできるという発想をいただいたんです。そうした出来事もあって、大学は阪大の基礎工学部に進みました。