自分の限界を知り、演奏家をサポートする側へ

 その後も僕は来る日も来る日もピアノの練習を続けましたが、どんなに練習しても、あのヨッフェ先生のいる世界は見えませんでした。でも、ピアノを演奏することが僕を引き付けるものであることに変わりはないですし、とことん練習して自分の限界が分かったからこそ、一流の演奏家の人たちを心から尊敬できるようになりました。

 音楽と工学をかけ算して、彼らが自身の音楽を深められるようサポートするほうに回りたい。それが、音楽表現そのものよりも身体にアプローチするほうに興味が向いたのは、自分が練習しすぎて手を壊したことがきっかけでした。

 手が痛くてピアノが弾けなくなったとき、何が問題か考えて、最初は湿布を貼ったり、整形外科へ行って肩をけん引してもらったりしました。でも一時的にはよくなっても、練習するとまた痛くなる。本当は弾き方や練習方法を見直さなければいけないのに、対症療法しかしていなかったのです。

 では、根本について誰か研究しているのかなと思って調べてみると、教育の話はいろんな方がしているけれど、「こういう理由で、体はこういう使い方をしたほうがいいですよ」という話を根拠に基づいてする方は誰もいませんでした。

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(下)唯一無二の天職 「こんな音を奏でたい」を科学で支える

取材・文/谷口絵美(日経ARIA編集部) 写真/鈴木愛子

古屋晋一
ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチャー
古屋晋一 2002年大阪大学基礎工学部卒業後、同大学大学院人間科学研究科、医学系研究科を経て2008年に医学博士号を取得。ピアノ演奏の巧みさと不自由さを解明し、音楽家が体を痛めることなく多様な演奏表現を創造するための「熟達支援」と「故障予防」の研究に取り組む。上智大学特任准教授、ハノーファー音楽演劇大学客員教授。京都市立芸術大学、東京音楽大学、エリザベト音楽大学非常勤講師。