「ケンタロウは俺たちのことを分かってくれている」

 実はこの時期の海外での経験は、今の仕事にすごく役に立っています。1つは、独学で英語を身に付けたこと。もう1つは、グループセラピーなどでさまざまな国の人たちと徹底的に議論し、互いの内面をさらけ出したことで、異なる文化圏の人たちの精神性の違いを理解できたことです。

 日本人は「親に申し訳ない」「世間に顔向けできない」みたいな恥の意識が強いのに対し、欧米人はバックグラウンドにキリスト教があるので、行き着くところは罪の意識なんですよね。

 コーヒーの生産者である中南米の人たちはカトリック信者が多いです。話をしていて彼らの精神性を理解していることが伝わると、「ケンタロウは俺たちのことを分かってくれている」と信頼されて、すぐ友達になれました。

 とはいえ、「世捨て人」だった当時はコーヒーの生産者と仕事をすることになるなんて夢にも思っていませんでしたし、コーヒーの香りは好きでしたが、味はむしろ苦手でした。

日本に帰国後、成り行きで喫茶店の店主に

 帰国してから今の妻と知り合い、彼女の地元の軽井沢で一緒に暮らし始めると、翻訳や通訳の仕事に就こうかと、アルバイトをしながら勉強を始めました。

 そのうち、妻の実家が以前ペンションをやっていたところが空き物件になっているので、喫茶店をやらないかという話が持ち上がりました。僕はバレエ教師をしている彼女に食べさせてもらっている状態だったので、彼女の両親としては、店でもやらせておけば格好がつくと思ったのでしょう。僕も、コーヒーは好きじゃなかったけれど、喫茶店という空間は昔から好きだったのでやりたいと思った。そんな成り行きで店を始めたのが1990年のことです。

 ただ、最初はインドで覚えたベジタリアンカレーとチャイがメインのお店で、コーヒーには全く力を入れていませんでした。