アロマの出番が減ってきて気付いたこと
―― 現在は、地元葉山を中心に地域活動に関わっていますが、アロマセラピストとして仕事に対する心境の変化や、活動の変遷などはありましたか。
大橋 葉山へ移住する以前から、アロマセラピストとして、都内の病院で活動していました。トータルで6年半くらいでしょうか。
当時はまだ「アロマセラピーって、単に癒やしみたいなものでしょ?」といったイメージでしかありませんでした。ですから私は、アロマセラピーは単に香りが癒しになるのではなく、「癒る」という過程で、自分の力を使い引き出しながら、自立して歩いていく、とてもパワフルなプロセスなんだよ、ということを伝えたくて。取材活動などを通して、自分なりに伝えていました。
その後、自身のアロマブランドを立ち上げ、調合や販売をしたり、アロマ空間演出などを通して、アーティストや音楽家など、多様な人たちとのコラボレーションをしたりしました。香りって広がっていくものですから、それを共有体験することが大切だと考え、自分なりの視点を持ちながら広げていきました。
―― 葉山でアロマセラピストとして仕事するきっかけになったのは、どんなことだったのですか?
大橋 最初のお仕事は、行政の方から介護のためのアロマセラピー講座などで講師をしてくれないか、というオファーをいただいたことですね。この講座は3年ほど続き、手応えは感じていましたが、一方で、葉山での生活を重ねていくうちに、何となくアロマの出番が減ってきているのに気付いたんです。
どういうことかと言いますと、葉山で暮らしていると、春にはワカメを干す香りが海の方から漂ってきたり、山に行けば野草の香りがある。どの季節にも、それぞれの香りがあることに気付きました。ならば、地元に暮らす人たちにとっては、身近な香りが一番なのではないか、と。
それが6年以上前でしょうか。葉山社会福祉協議会で畑サークルをつくったのが、地域活動のスタートです。このときのコアメンバーが、今活動している「はっぷ」のコアメンバーでもあるのです。
※次号は、大橋さんが今、一番力を入れる地域活動「はっぷ」について、女性としての生き方についてお話しいただきます。
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⇒大橋マキ 「老い」を身近に感じて暮らせる仕組みを
アロマセラピスト、アロマスペースデザイナー
取材・文/富岡麻美 写真/井島健至 撮影協力/風早茶房