令和初の紫綬褒章を受章、2020年大河ドラマでは明智光秀の母役として出演が決定するなど旬なニュースが続いている歌手の石川さゆりさん。近年は「演歌」というジャンルに捉われない、さまざまなアーティストとのコラボレーションも話題です。なんでも「赤が似合うお年頃(還暦)を過ぎて、ますます忙しくなっている」とか。デビュー以来、47年間「自分の歌」を歌い重ねてきた石川さんに、仕事に対する姿勢について聞きました。

(上)紫綬褒章受章 演歌に込めた働く女の情念 ←今回はココ
(下)「母と私と娘、女三世代で同居中」

ふたつの道があったとき、決して楽な道は選ばない

―― 紫綬褒章受章の記者会見で「これまでやってきたことが間違っていないぞ、これからもこの方向で進んでいいんじゃないかと判子を押してもらったようでうれしい」という言葉がありました。これまで石川さんが歌い重ねてきた47年間はどんな道のりでしたか。

石川さゆりさん(以下、敬称略) 一本道を歩いているつもりでいても、ふっとある瞬間に二股になっていることが何度もありました。右に行くか、左に行くか。ふたつの道があったとき、どういうわけか楽そうな方向にあまり魅かれない。あえて危険な道を選ぶ。選んでしまった後で、何でこんな尾根のすごいところに来ちゃったのかなと冷や汗をかきながら、寿命が縮む思いを味わうことも。でも、そのスリルをくぐり抜けた後、スパッと迷いなく到達できた時に見える風景はやはり、予想を超えた素晴らしいものなのです。

―― 越えるたびに、見える風景が変わっていくのですか?

石川 いままで知らなかったという世界がふわあっと見えたりします。たとえば、45周年記念コンサートの時には義太夫に挑戦し、「石川さゆり誕生奇譚」を披露しました。歌舞伎や文楽をよく見に行くのですが、ある時「義太夫、格好いいな」と思い、「自分もやってみたいな」と口にしていました。言葉にした以上は本物に辿りつきたい。そうなるともう、次の瞬間には片岡仁左衛門さんに「どなたかご紹介いただけませんか」と連絡している自分がいる。それで竹本駒之助さんを紹介してもらったのですが、人間国宝に人間国宝を紹介してもらうなんて、冷静に考えれば、とんでもないですよね。

 はじめて義太夫の口上に自分の声をのせようという時に、自分がどれくらいの技量でどのくらいのところまで辿りつけるか、その時は考えずにジャンプしちゃう。ただ、本物に辿りつきたいという衝動は止まらない。何事も、まずは壁に指をひっかけて、その後ぐーっとよじのぼっていく感じ。この人に会いたい。この人と何か一緒に作りたい、そう思えること自体がすてきだし、本当に楽しい。

―― デビュー後から、ずっと楽しかったですか。

石川 その境地になるまでにはいろいろありましたよ。歌い始めた頃は、歌詞にしがみついていくのがやっとで、歌に振り回されていた時期もありました。

1970年頃撮影。まだ10代のあどけない表情で、一日警察署長をつとめたときのショット。この頃はまだ、テレビの歌番組に出ても、いつもほかの子の一歩うしろに下がって立っているような子だった。「私はあまり個性的じゃないから。いまだって、そうよ」と笑いながら振り返る、石川さん(写真提供/さゆり音楽舎 協力/Books Under Hotchkiss)
1970年頃撮影。まだ10代のあどけない表情で、一日警察署長をつとめたときのショット。この頃はまだ、テレビの歌番組に出ても、いつもほかの子の一歩うしろに下がって立っているような子だった。「私はあまり個性的じゃないから。いまだって、そうよ」と笑いながら振り返る、石川さん(写真提供/さゆり音楽舎 協力/Books Under Hotchkiss)