ARIA世代は、介護を含め、親との向き合い方を真剣に考える時期でもある。昨年、最愛の母を亡くされた真矢ミキさんも、「母にとってどんな暮らしがベストなのかを考え続けた10年だった」と話す。仕事と両立しながら、母との暮らし方を柔軟に変えてきたこと、夫と母と3人で暮らした幸せな時間、そして、夫婦の信頼関係を保つ大人の距離感について聞いた。

母にとってどんな暮らしがベストなのか

―― ARIA世代は、親の介護問題にぶつかる時期です。真矢さんも昨年(2018年)10月にお母様が他界するまで、介護と向き合ってきたと聞いています。

真矢さん(以下、敬称略) 介護というほどのことはしていないかもしれませんが、この10年間は、どんな暮らし方が母にとってベストな状態なのかを考え、その時々に応じて水のように家族のかたちを変えながら過ごしてきました。そもそも2004年に父が他界し、母の様子が心配になって、半年後に東京の自宅マンションに呼び寄せたんです。別の部屋を借りて、「スープの冷めない距離」の生活を始めました。でも、さすがに2軒分の家賃を払うのは……と思い、中古マンションを買って同居をスタートさせたんです。

 そんな中、2008年に私が結婚し、再び徒歩3分の「スープの冷めない距離」に。二人でよく迎えに行って、外に連れ出していたんですけど、ある時気付いたんですよね。片付けができなくなっていたり、料理が得意だったのにフライパンすら握らなくなっていたり。そうやって次第に弱っていく母を見て、「どうしたらいいんだろう」とひとり悩んでいました。そんな時、夫が母に「一緒に住もうよ」と誘ってくれたんです。

―― 同居の提案は、旦那さま(バレエダンサーの西島数博さん)からだったのですね。

真矢 その瞬間、感謝でいっぱいで言葉が出ませんでした。でも、私以上に驚いていたのが母です。あまりにうれしすぎて、最初、聞こえないふりをしていたくらい(笑)。急にせき払いをしたり、話をそらしたり、明らかに動揺していました。それだけ、うれしかったのでしょうね。ありがたいことに、夫の両親もすごく良い方で、同居を快く許し、いろいろと協力してくださいました。

「3人でご飯を食べているときに、彼がとても自然な感じで、母に『一緒に住んだらいいじゃん!』って言ってくれて。あの時は胸がいっぱいになりました」
「3人でご飯を食べているときに、彼がとても自然な感じで、母に『一緒に住んだらいいじゃん!』って言ってくれて。あの時は胸がいっぱいになりました」

真矢 そこから3人の暮らしが始まるのですが、母にとっては、本当に宝物のようにキラキラとした楽しい時間だったんじゃないかな。同居するからには、やはり独立した空間がないとみんなが疲れてしまうだろうなと思い、個室を作りました。そうしたら、母の様子が変わっていって……。