稼いだお金で、プライベートタイムにひとりで好きなことをする。当たり前のそんな行為を、なぜかためらってしまうことはないでしょうか? 誰も制限などしていないのに、やりたいことに自らブレーキをかけてしまうのはナンセンス。知的好奇心の赴くままエネルギッシュに活動するひとり時間使いの達人・湯山玲子さんが、さまざまな切り口で「自由を楽しむこと」の本質に迫ります。

おひとりさまは、孤独な存在の総称ではない

 ひとり行動には、必ず以下のようなBGMが流れている。

 それは、「一緒に行動してくれる友達や彼氏がいない~。寂しい~。でもこれに慣れなきゃだわ~」(この歌詞にテキトーにぜひ短調のメロディーを付けて歌ってくださいな)というもの。と、このBGM、普段は気にならないが、ふとしたときに大音量になってしまうのが、やっかいなのだ。

 しかしながら、このBGMは大いに間違っている。おひとりさまは友達がいない、孤独な存在の総称ではない、ということを私たちははっきり自覚する必要があるのだ。実際、ひとり行動を楽しむことができる人は、友達が多い。思い立ったらふらりとひとり旅にでかけたり、うなぎを食べに銀座にでかけたり、自転車で鎌倉散歩をするようなおひとりさまは、実は多少にかかわらず友達に恵まれている。うなぎも旅も、もちろん彼・彼女を誘って行くことはできるけど、自分がその気になったタイミングとお誘いが合わなかっただけであり、自分ひとりの時間を過ごしたほうが断然おもしろい、という判断から、ひとり行動を選んだ、というわけだ。

 ちなみに、友達については、タモリと赤塚不二夫の双方の全く違った見解がある。タモリは「友達なんかいなくていい。友達なんかいなくても全然やっていける」という考え方だが、彼の発言の真意には、「友達に依存すると、友でない人間を友と思い込み、結果傷つくことが多い」という警鐘を含んでいる。実はおひとりさま実行者には、このタモリ流の考え方で友達を捉えている人が多い気がする。学生時代のあるあるでもある、依存型の友情で嫌な思いをして「だったらソロのほうがいいわ」という結論に至った、というね。

 対して赤塚不二夫は「友達はいっぱいいたほうがいいに決まっている」という意見。実はおひとりさまは、こちらの考え方にさっさとシフトしたほうがいいのだ。誰かに依存したいという欲求をタモリ派のように抑圧するのではなく、いろんな人に分散して軽くする、という友情のスタイル。金融と同じで、リスクの少ない分散投資方式である。

 「何をするのにも一緒で楽しくて、心の中を打ち明けられて、嫌いになることなんぞは考えられない完璧な友人」というのは、高校生までならばともかく、大人になってからは存在しない。なぜならば、みんな一緒が大好きな日本人においても、それぞれの生き方やセンス、嗜好は年齢を重ねるとともに多種多彩になってくるからだ。ならば、その一つひとつに合わせた「専門友達」を、たくさんつくってみるのがいい。

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