稼いだお金で、プライベートタイムにひとりで好きなことをする。当たり前のそんな行為を、なぜかためらってしまうことはないでしょうか? 誰も制限などしていないのに、やりたいことに自らブレーキをかけてしまうのはナンセンス。知的好奇心の赴くままエネルギッシュに活動するひとり時間使いの達人・湯山玲子さんが、さまざまな切り口で「自由を楽しむこと」の本質に迫ります。

「見た目」が無防備すぎるおひとりさま女性たち

 日本の女性は他国の女性に比べて、非常に見た目を気にする、といわれている。気にするといっても、その方向性は自分が暮らす狭い社会の空気においてのみ。みんないっしょの強迫観念が強い日本では、服装は共同体の空気を乱さないことが大事であり、至る所に細かくドレスコードの不文律が存在するのだ。

 それには、自我が確立する青少年期にメインの活動場所である学校に制服という「みんないっしょ」が存在し、着るという行為を思考停止状態にさせてしまっていることも大いに影響している。冠婚葬祭ならまだしも、育児ママの公園デビューのような場面においても、ファッションのお手本を必要とするような空気がこの国にはあるのだ。

 さて、おひとりさまは、毎回、この連載で強調しているように、そういった共同体に出たり入ったりする自由な存在。そして、カップル、友だち同士、親子連れというメンバーが主体の場所での、異分子でもある。男のおひとりさまはそれでもまだいい。一匹おおかみ→カッコいい、という文化的な同意があり、男性の単身赴任がこんなに当たり前なのも、そういった空気の影響下にあるから。対して、女性のおひとりさまは最近、急に目立ってきた社会現象だということは、忘れてはならない。

 それなのに、おひとりさま女性が、どれだけ「見た目」に注意を払っているかといえば、私から見るとあまりにも無防備、なのですよ。「そんな格好だから、ひとりで入った飲み屋で酔ったオヤジに絡まれ、レストランではぞんざいに扱われるんだよ」というシーンを今まで、何度も目撃している。

 何を言いたいかといえば、社会の空気はひとり行動女性に対してウエルカムではない、ということ。登山、ハイキングが趣味の私の友人は、北海道にひとり旅に出て、近くの低山に登って宿に戻ったときに、「あー、戻ってきてよかった。自殺なさるんじゃないかと心配してました」と宿の人に言われたという。「女ひとり行動→訳あり、という自動思考はやめてほしい。火曜サスペンス劇場じゃないんだからさ!!」と憤慨していた。

 この社会が自然と持ってしまう「おひとりさま異物感」が、嫌みやイジメ的な排除、居心地の悪さのように、攻撃となって我が身にふりかかることだけは避けなければならないが、実はファッションはそのお手軽で効果大の防御装置になる。攻殻機動隊におけるパワードスーツのように、ファッションはおひとりさまを守ってくれるのだ。

 改めて言うが、女性のおひとりさまは、社会的な場においては弱者である。イジメは、自尊心を損なわせ弱体化させることを目的とした行為だが、日本では長らく続いた男性中心社会の中で、「母や妻や庇護(ひご)が必要な少女という枠から外れ、オトコの言うことを聞かず、自由勝手に行動するひとり行動女」について、すぐにイジメを発動させる用意があるというリアルを忘れてはならない。

今年の夏は、京都と名古屋に通うこと多々。舞妓(まいこ)ちゃんと。朝顔のかんざしと花火柄の単衣(ひとえ)がカワイイ。不肖、ワタクシもベルリンで買ったコスチューム・ジュエリーで、同じく花火を表現。ワンビースは自分のブランドOJOU(オジョウ)なり
今年の夏は、京都と名古屋に通うこと多々。舞妓(まいこ)ちゃんと。朝顔のかんざしと花火柄の単衣(ひとえ)がカワイイ。不肖、ワタクシもベルリンで買ったコスチューム・ジュエリーで、同じく花火を表現。ワンビースは自分のブランドOJOU(オジョウ)なり