稼いだお金で、プライベートタイムにひとりで好きなことをする。当たり前のそんな行為を、なぜかためらってしまうことはないでしょうか? 家族や会社のために時間を使うことに慣れ過ぎてしまったせいか、はたまた「ひとり=寂しい人」バイアスで周囲の目が気になるからか。誰も制限などしていないのに、やりたいことに自らブレーキをかけてしまうのはナンセンス。知的好奇心の赴くままエネルギッシュに活動するひとり時間使いの達人・湯山玲子さんが、さまざまな切り口で「自由を楽しむこと」の本質に迫ります。

正月にひとりで駅伝の応援に出かける80代の母

 人生100年時代を象徴するがごとく、父は89歳、母は87歳と年相応のボケはありつつ元気で暮らしているが、そういえば、この両親、双方ともものすごく「おひとりさま」行動をするタイプだったことを今さらながらに思い出している。

 父親はクラシック音楽の作曲家をしていて、いわゆる芸術家の典型キャラのごとく、自由気まま。「これから、カツドウ(映画のことです)行ってくる」と言って、ひとりで映画館に出かけ、大好物のそばやカニを食べに行くのにもひとり飯だった。

 母親もまた、ひとり行動が好きな人だった。80代になっても「走っている若い男の子たちから、元気を吸い取ってくる」というよく分からん名目で正月には必ず、駅伝をひとりで応援しに行っていた。70代後半に一緒にフランス旅行へ行ったときも、ひとりでホテルの近所の寿司屋に入って、日本語がしゃべれるベトナム人の職人と仲良しになっていたのにもたまげたが、3.11の震災で、電車が止まって、府中の病院から帰れなくなったとき、とっとと駅前のホテルにチェックインしていたのにはもっと驚いた。この母を見ていると、おひとりさま精神は、生存スキルだとも思えてくる。

 ここで重要なのは、父でなく母のほう。なぜならば、パートナーがいる女性にとって、自由に行動できるおひとりさまは、男性よりもタブー感が強いからだ。日本の結婚、そして、セフレではない真剣なお付き合い周辺の空気には、まだまだ家父長制モードが残っており、自由に行動することは、パートナーの許しがあってこそ、という空気が存在する。なぜならば、夫が把握していない妻のおひとりさま行動は、「もしかしたら、他の男とねんごろになっているかもしれない」という恐怖に直結しちゃうから。その点、父はわがまま亭主関白だったが、母の行動に一切口出ししなかった。母を尊重したというよりも、多分無関心。人の自由を束縛してくる支配力発揮よりもずっといい。

本当に久しぶりにショートカットにしたら、大好評。『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンの昔から、髪を切ることは人々に何かしらの感動を与えるのだ、と実感
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