昭和時代に刷り込まれた「みんなでご飯」の幸せイメージ

 「みんなで一緒に食べるご飯はおいしい」とこれ、皆さんが常識だと思っている考え方だが、それは「家族団らんの食卓の幸福」という、昭和時代にテレビドラマ等々で徹底的にたたき込まれたイメージだということを知っていたほうがいい。家族がそろって、「いただきまーす」と食べる夕食は、リアルな話、各家庭でも日曜日の夜だけのイベントだった、という人は少なくないのでは? 子どもは塾で、親はたいてい共働きで平日に同じ時間に家にいることは現代の家庭では難しいのだ。新型コロナで一瞬そういう時間が戻ったが、それは続かないだろう。

 一方、ひとり飯は、「ひとりで好きなモノを好きなタイミングと空間で食べることが幸福」という体なので、真っ向から対立。いや、家族団らんの食卓を否定しているわけではない。みんなで楽しいご飯とひとり飯の快楽は、両立が可能なのに、無意識のうちに、内なる「女の外食タブーブレーキ」が利いてしまい、せっかくの人生の楽しみを失ってしまうことは、本当にもったいない。

 自分のお金で好きなものを、思い立ったときに食べることができる、というのがひとり飯の魅力であり、今日も今日とて、急にとんかつが食べたくなって、目黒で下車して、とんかつの名店「とんき」に直行してしまった。

 こういうときは、スマホをしまい、本も読まない。店員さんのキビキビした動きを見、白木のカウンターの清浄さに心を無にして、とんかつが来るのを待ち続ける。ちなみに私はこの行為を「とんき瞑想(めいそう)」と名付けており、マインドフルネスに組み込んでもいるのです。すると、イベントや番組出演が続いて、かなりやさぐれていた私の心に、揚げたてヒレカツの熱量のごとくのエネルギーがどんどん湧いてくるではないか! ちょっとした、そんなぜいたくができる自由な日常を送ることができることに感謝する今日この頃である。

文/湯山玲子