知っているようで知らない女性の体のこと。気になる性の悩みや婦人科の病気、妊娠・出産などについて、産婦人科医でもあり、性科学者でもある宋美玄さんがフラットに語ります。今回のテーマは「精子バンク」です。

国内初となる「精子バンク」が立ち上げられる

 2021年5月、医師が中心となって国内で初めてとなる「精子バンク」事業を立ち上げ、提供者を募るというニュースが報道されました。海外ではよく耳にする「精子バンク」ですが、日本でも無精子症など男性側に不妊の原因があるカップルなどに第3者からの精子を提供する非配偶者間人工授精 (AID)は1948年に実施されて以来、70年以上続けられています。現在は12の医療機関が実施施設として日本産科婦人科学会に登録していますが、そのあり方には近年、さまざまな課題が生じています。

 AIDでドナーから精子提供を受ける場合、提供者のプライバシーを保護するため、その個人情報は匿名とされることがほとんどです。そのため、子どもが成長して、自分の出自を知りたいと考えたとき、手がかりがない、記録が残っていないというケースが多いのです。日本産科婦人科学会では2015年に見解を改訂し、「精子提供者のプライバシー保護のため精子提供者は匿名とするが、実施医師は精子提供者の記録を保存するものとする」としましたが、記録の保存期間などは定められていませんし、請求すれば開示されるのかも定かではありません。

 第一に考えなくてはいけないのは、生まれてくる子どもの福祉の視点です。日本でも94年に批准された「子どもの権利条約」で、「児童はできる限りその父母を知り、かつその父母によって養育される権利を有する」とうたわれています。精子提供によって生まれた子どもが「自分の出自を知る権利」はどう守られていくのでしょうか。

生まれた子どもには「自分がどのようにして生まれたのか」を知る権利がある
生まれた子どもには「自分がどのようにして生まれたのか」を知る権利がある

 技術の進歩によって生殖補助医療の可能性は広がっていきますが、ある程度の時間がたたないと生まれてきた子ども側の声は聞こえてきません。AIDについても、時間の経過とともに子ども側が声を上げたことで、その課題が広く知られるようになってきました。

 川上未映子さんの小説『夏物語』にもAIDによって生まれた人の苦悩が描かれています。子どもが成長して自分の出自を知りたいと思うのは当然だし、提供者が分からないことが、アイデンティティーに影響する人もいると思います。