キャリアも子育ても…自分だけが取り残されていく

 痛みを伴う治療や無機質な診察室で生命を宿すことに抵抗を感じ、「もうやめよう!」と思ったこともありました。でも、35歳を過ぎると妊孕(よう)性は下降すると訴えるメディアを目にすると、医療の手を借りてでもいい、助けてもらおう、早く子どもを授かりたい!と、提示される妊娠率の高い治療法に懸けてしまう自分がいました。

 卵子を多数採取するために排卵誘発剤の注射を肩に刺したとき、激痛と共に口の中まで薬の味が広がったのを覚えています。中にはひどい頭痛や吐き気、倦怠(けんたい)感を覚える人も。体外受精は過酷です。妊娠しないこと以外は至って健康なのに、心も体もしんどい状態でした。

 仕事はフルタイム。出版社で編集部に勤務していました。社会人として楽しくなってきた30代、バリバリ働く人の中で自分だけがどこか中途半端な立ち位置。子育てでキャリアを諦める女性がいますが、不妊治療で退職を考えることになるなんて。子どもが欲しいと願うのは夫婦2人なのに、治療で心身に負担がかかるのは女性ばかり。ちょっと不公平ですよね。

2度の流産、そして妊娠7カ月での死産

 1度は妊娠したものの、初期流産。「私たちでも妊娠できるんだね」と悲しい結果を前向きに捉えましたが、2度目も流産。それでも夫婦でなんとかこの苦難を乗り越えようとしたけれど、明るいニュースのないままではやっぱり限界があります。

 思い描いていた人生が止まってしまった……それくらい追い詰められていたのに、誰にも相談できずにいました。なぜでしょう。きっと、ひっそりと通院して普通の顔して妊娠したかったのかもしれません。自分の力で妊娠できないことは知られたくない。不妊を受け入れていないから声を出せず、周囲からの支援も得られない。孤独をつくっていたのは自分。夫にさえ、心の内を話せていたかというと、きっとこの悲しみや落胆を分かっているはずという思い込みがあり、あえて話し合うことはありませんでした。

 36歳の春に3度目の妊娠。けれど、妊娠7カ月検診でおなかの中で亡くなっていると告げられました。