戦前の権威主義的な建築とは異なる「開かれた施設」

 前川は第2次世界大戦の前に主流だった建築の考え方に、大学時代から疑問を抱きました。卒業すると、すぐにフランスのル・コルビュジエのもとへ旅立ちます。帰国後、軍国主義の時代や戦争の焼け跡が広がるような困難な時期を乗り越えて、戦後の建築界に大きく貢献することになります。

 終戦から16年を経て、東京文化会館が戦後の文化の殿堂として完成しました。戦前の権威主義的な公共施設とは違い、見た目も空間も開かれた、誰でも気軽に立ち寄れるような施設として、師の作品と向き合う形で。一対の建築は、明治以来の西洋文化の場所としての上野恩賜公園の入り口にあって、モダニズム建築が勝利した凱旋門を思わせます。

 先ほど、モダニズム建築の要点は外観の形ではないと書きました。上野駅公園口から誘い込まれるように、東京文化会館のエントランスロビーが位置します。近づいて、中に入りましょう。

開放的な大空間を適度に分ける透明の箱

 開放的な高い天井です。外部との境は一面のガラスになっています。建物の中と外に段差はありません。外観が左右対称に整えられて、中央の階段から内部に入ると、外部から隔絶された空間が広がる――そんな戦前に一般的だった文化施設からすると、いかに画期的だったのかが分かります。

 「レストラン フォレスティーユ精養軒」は、そんな内部の要所にあり、エントランスロビーとホワイエとの境の2階に位置します。ガラスで囲われ、宙に浮いた形で視線をつなぎながら、低い天井をつくって来場者の気分を転換しています。透明の箱のようなデザインが、ひとつながりになった空間を適度に分ける機能を果たしているのです。

東京文化会館のエントランスロビー。正面上部に見えるのがフォレスティーユ精養軒
東京文化会館のエントランスロビー。正面上部に見えるのがフォレスティーユ精養軒
フォレスティーユ精養軒の下に位置するホワイエはロビーから一転して天井が低くなり、来場者の気分が変わる
フォレスティーユ精養軒の下に位置するホワイエはロビーから一転して天井が低くなり、来場者の気分が変わる