特別な日に訪れたいレストラン、忙しい時間を忘れてゆったり過ごせる雰囲気のいいカフェ…愛されるお店には、料理はもちろん、空間にも訪れる人を引き付ける魅力があります。「建築を知ることは、人生を豊かにする」と語る建築史家の倉方俊輔さんが、食欲と知的好奇心を刺激するスポットを厳選。昭和初期の名建築から現代のモダンな空間まで、バラエティー豊かな建築の味わい方を紹介します。

 足を踏み入れると、ビルの中とは思えない空間で気分が一新します。壁一面に稲田石が積み上げるように張られています。

 「ストーン」は1966年、有楽町ビルヂングの完成とともに開業しました。石をふんだんに用いているのは、初代オーナーの実家が石材店を営み、そのショールームを兼ねたことから。縦に走る溝は、石を切り出した際の跡をそのまま使ったデザインです。ビル街に突然、岩肌が現れたかのよう。天然の素材が際立っています。

 それが重々しいだけでないのが、よいのです。店内の壁は軽やかにカーブし、店の入り口を越えて、ビル内の共用廊下からも見えます。そこに手書きの看板が置かれて、生き生きとした憩いの場であり続けているのが分かります。

「ストーン」の入り口。壁一面に用いられた稲田石は茨城県笠間市の稲田地区で採れる花崗(かこう)岩の一種で、国会議事堂や東京駅などにも使われている
「ストーン」の入り口。壁一面に用いられた稲田石は茨城県笠間市の稲田地区で採れる花崗(かこう)岩の一種で、国会議事堂や東京駅などにも使われている

画一的でない天然素材が醸し出す温かみ

 この喫茶店には独特のたたずまいがあります。それは「素材感」と「重さと軽やかさの調和」と「人間味」から来ているのではないでしょうか。詳しく見ていきましょう。

 天然の素材は一つひとつが微妙に異なっていて、訪れる人を和ませます。壁は採掘したままの石材といった風情です。規格化されていない凹凸があります。50年を経て、風合いがさらに増しています。天然の素材を、しっかりと使っているから、時間が味方になっているのです。

 空間にこの店特有の雰囲気があるのは、インテリアの全部が同じ性格を備えているからでしょう。床には黒と白のモザイクタイルが張ってあります。店の全体で抽象的な模様を織りなしているのですが、目を凝らすと同じ部分は一つとしてありません。小片をひとかけらごとに見繕った手仕事です。足元を半世紀以上、支え続けています。

床のモザイクタイルは、一つひとつが唯一無二の形状
床のモザイクタイルは、一つひとつが唯一無二の形状