特別な日に訪れたいレストラン、忙しい時間を忘れてゆったり過ごせる雰囲気のいいカフェ…愛されるお店には、料理はもちろん、空間にも訪れる人を引き付ける魅力があります。「建築を知ることは、人生を豊かにする」と語る建築史家の倉方俊輔さんが、食欲と知的好奇心を刺激するスポットを厳選。昭和初期の名建築から現代のモダンな空間まで、バラエティー豊かな建築の味わい方を紹介します。

塀の向こうに広がる、非日常の「遊び」の世界

 料亭「つきじ治作」の創業は昭和6(1931)年。当時の日本建築が、有楽町・銀座エリアから歩いて行ける場所に、今も受け継がれています。敷地が約800坪。戦前の豪放な遊びの文化を伝える空間が、都心に健在であることに驚かされます。

 店を開いたのは、初代総料理長兼店主・本多次作です。各地で料理店を成功させ、「戦前日本の割烹(かっぽう)王」とまでいわれた次作の、満を持しての東京進出でした。彼は豪快な人柄で、喜び事や人を驚かせることが大好きだったと伝えられています。1899年に建てられた岩崎家一族の別邸を譲り受け、自らの好みで全面的に改築しました。

 長く続く塀に開いた門から歩を進めれば、玄関脇で出迎えるのは、その名も「吃驚土瓶(びっくりどびん)」。「つきじ治作」の名物は、創業当時から受け継がれてきた鶏の水たきです。大陸から薬膳料理の類いとして日本に伝来し、次作が育った福岡・博多で今のような形になったといわれます。創業当時、まだ東京では珍しかった水たきは、土瓶で供されていました。次作が土瓶をできるだけ大きく、信楽の窯元に焼かせたのです。看板メニューを、まさに看板に。前代未聞の大きな土瓶は、運び入れる際に新聞に載るほどの大騒ぎになったと伝えられます。

 とはいえ、「吃驚土瓶」だけが目立っているわけではありません。まわりには巨大な石があり、大木が茂り、大きな灯籠が据えられています。それらが一体になって、塀を一枚隔てた外とは違う空間が広がっています。訪れた人は、普段とは異なる「遊び」の世界へともてなされます。

長く続く塀に囲まれた「つきじ治作」
長く続く塀に囲まれた「つきじ治作」
木の個性を生かした独創的な門構え
木の個性を生かした独創的な門構え
玄関脇に鎮座する、インパクト大の「吃驚土瓶(びっくりどびん)」
玄関脇に鎮座する、インパクト大の「吃驚土瓶(びっくりどびん)」